こんにちは、こんばんは。
サマビーです。
今日は2020年3月21日(土)。
春分の日から始まる3連休の中日です。
なお、この話を書いているのは前夜の金曜夜ですが、「あと2日休める」と思うと幸せ…笑
さて、2~3日前まで知りませんでしたが、「100日後に死ぬワニ」という四コマ漫画が話題になっているようですね。
今日はこれに関して、ふと思い出した話を。
「どのくらい生きる予定の生き方ですか?」
基本的にはネットの記事を見ただけなので、中身については触れられませんが、数日前くらいからかな?
昨晩をもって「100日後に死ぬワニ」という四コマ漫画が完結したとのことで、ネット上で話題になっていました。
漫画家の「きくちゆうき」さんという方(@yuukikikuchi)がTwitterで連載していた話で、毎晩一話ずつUPされていたようです。
1つ1つの話自体は、誰もが経験したことがあるような内容が淡々と描かれています。
例えば、実家から「年末は帰る?」という電話があって、主人公のワニが「わからん…」と返答する話であったり、連載漫画を読んでいて「早くラストが読みて~」という内容であったり。
ただし読者は主人公のワニが「100日後に死ぬ」という結末を知っているので、淡々と進む日常の中に考えさせられるものがある…という仕組みになっています。
そして、昨晩に100日目の話がUPされて、完結しました。これが数日前より、ネット上で話題になっていた…ということですね。
この話を目にしたとき、もう何年前くらいかわかりませんが…
伊坂幸太郎の『終末のフール』という短編集を思い出しました。
ご存じの方が多いと思いますが、伊坂幸太郎は小説家です。ミステリー作家なのかな?
近年の作品は読んでいませんが、個人的には『オーデュボンの祈り』や『重力ピエロ』が好きでした。
『オーデュボンの祈り』についてサラッと触れますと、主人公がトラブルに巻き込まれて、ある島にたどり着きます。
その島は江戸時代以降、外界から鎖国をしている島でして、島には未来が見える、人の言葉を話す案山子がいる…という斬新な設定が好きでした…笑
個人的には、ラスト(オチ)でもう少し唸ることができれば…名作認定でしたが、まぁ好きです。
ちなみに、その島にいる殺人を許された男(桜という)の存在がいいです。ただ、島人からは恐れられているというか、疎まれているというか。
殺人を許されている…とは言っても、無意味な殺人は行いません。喋りもしません。
一目見て、善人か悪人かを判断できる力があるようで、悪人認定されると有無も言わずに撃たれる…という。
まぁ、その他『陽気なギャングが地球を回す』あたりも単純に面白いですし、『アヒルと鴨のコインロッカー』など映画化された作品も多いですね。
さて、話を戻しまして伊坂幸太郎の『終末のフール』ですが、短編集です。
設定としては、8年後に地球に小惑星が衝突することがわかり、それから5年ほど経った頃の様々な人間模様の話。
はじめは混乱するものの、落ち着きを取り戻した後の日本が舞台です。
短編集ですので、いくつかの話があるのですが、その中に「鋼鉄のウール」という話があるんですね。
あるキックボクサーがいて、地球に小惑星が衝突するとわかった後も、試合が組まれることなどないのかもしれないのに、毎日練習を続けているんです。
そして、小惑星が衝突することがわかる前、そのキックボクサーに向かって「明日死ぬとしたらどうする?」と聞いた人がいたんですが、それに対して「変わらない」と答えます。
それに対して、「明日死ぬのに、なんで練習をするの?(意味ない)」と小バカにした感じで返すと、そのキックボクサーは…
「あなたの今の生き方は、どれくらい生きるつもりの生き方なんですか?」
と聞くんですよね…。
この本を読んだのは、ずっと若い時でしたが…このセリフは刺さりました。
そして、私はどこかにこのセリフが刺さったままで、今でも「いつまで生きる予定」の「今の生き方」なのかを決められていません。
仮に私があと5年の命だとしたら、そうだとわかったのならば…
きっと「今の生き方」はやめるでしょう。細かい部分は、変わらないかもしれませんがね。
例えば、このブログでも…もっと本音で語り始めるでしょう…笑
それは遅かれ早かれ、そうしようと思っていますが。
もし本当にわかったとしたら…
実際に「100日後に死ぬワニ」を見ていただければ、わかると思いますが…もの凄く淡々とした日常が続きます。
要するに、ワニはわずか100日後に、自分が死ぬなどと思ってもいない。
それは私も同じです。
口では「いつ何が起こるかわからない」などと言いつつ、本当に自分の身に何かが起こるとは、思っていない。
何が起こるかわからない…とは「思っているつもり」でしょうが、心底本気で思っていたら、きっと違う生き方にするはず。
仮に「あと100日」だったら…話は早いでしょう。
徹底的に、子どもと過ごしますね。
でも「あと5年」だったら…結論は変わりませんが、微妙だなぁ…苦笑
まぁ、まずは会社を1年後に辞めると伝えて、1年くらい働くかな。お金のために。
そして、徹底的に子どもと過ごすでしょう。最後の5年は完全に子どものため(=それが自分のため)に生きると思います。
しかし、年齢的にも本当にありうるから、怖いよなぁ…。
せっかくなのでマジメにこの辺を考えて、ここで書こうと思いましたが…ちと考えるのも怖い気が…苦笑
ですので、落ち着いてこの辺をガチで考えて、考えがまとまったら…また書きます…笑
その覚悟が決まるようならば、実際にどうなるかは別として、残りの人生が今よりは豊かになるような気もしますよね。
ということで、皆さんも考えてみる価値はあるかも…です。
なんて、問題を投げかけて逃げてみたり…苦笑
でも、私は「本当に何が起こるかわからない」ということを、ここ数年で経験しました。
それこそ、今の新型コロナの件だって、そうですよね。
2019年の年末にネットで見た「新しいウイルス発見」のニュースから数か月後、世界がこんな騒ぎになることも、オリンピックがなくなるかもしれないことも…
また、私が息子の卒園式に出れなくなるとも…思いませんでした…苦笑
逆に前向きに考えれば、何が起こるかわからないからこそ、今とても苦しい人だって、思いもよらずに事態が好転することも「大いにありえます」。
少し話が逸れてしまいましたが…
仮に「あと5年で死ぬ」と仮定した場合、私はいかに生きるか?
今日はこのテーマについて、布団のなかで考えながら寝てみます…。
( ´Д`)=3 フゥ
ということで、今日は尻切れトンボではありますが…
ふと思い出した話まで、失礼いたしました。