こんにちは、こんばんは。
サマビーです。
今日は2020年8月20日(木)。
今日も母との最後の10日間の話の続きを書きます。
前回はいよいよ母が危ないという連絡を受けて、8月6日(木)の夜に病院へ向かい、母の眠るベッドの横で、ただただ私も眠っていた…という話まで書きました。
そして、8月7日(金)の明け方5時頃、私は看護師さんに「そろそろのようです…」と起こされました。
前回の話は下記リンクをご参照ください。
本当によく頑張りました
疲れていたようで、私は完全に眠っていました。
看護師さんに揺すられて起こされるまで、気がつきませんでしたから…笑
結局、前夜に私が到着してから、母の意識が戻ることはありませんでした。
しかし、静かに眠っている母を見て安心しましたし、基本的には横で寝ていただけですが、最後に1晩をともにできたので、まぁ満足です。
看護師さんに「そろそろのようです…」と起こされた後、私は母のそばで「お疲れさま」などと声をかけたり…
スマホに録画した息子がピアノを弾く動画を流したり…
その間、母は「息をしている」だけで、ピクリともしない様子でした。
前夜の母は「よく寝ている」という印象でしたが、明け方の母は「息をしているだけ」という印象。
申し訳ない言い方をしてしまえば…もはや「物」に近い印象でした…。
私が看護師さんに起こされてから、40分くらい母は呼吸を続けましたが、時間をかけて少~しずつ、少~しずつ…呼吸の間隔が空いていった感じです。
最後のほうは「あ…止まった…」と少し驚いてジッと見守ると…
「呼吸したぁ~!」というのを繰り返す感じです。
これまた申し訳ない言い方ですが、ちょっとしたコントのような雰囲気すら…苦笑
そして、綺麗に言ってしまえば、そのまま「眠るように…」母は逝きました。
8月7日(金)の午前6時くらいの話です。
最後の40~50分間にしてもそうですが、母は驚異的な粘りを見せて、本当に最後までよく頑張りました。
今から2年半ほど前、突如として尋常ではない症状が出て以降、母は何のために生かされているんだろう…とすら考えることもありました。
しかしそんな中、最後まで母は人を気遣い、文句を言わず、私たち子ども達の手本となります。
もし私が同じような目に遭った際、正直なところ、母のように頑張れる自信がありません…。
ただ、母が見本となることに間違いはないでしょう。
少しでもその振る舞いに近づけるよう、努力するのだと思います。
そして結局、父もそうでしたが…
私たち子ども達は、手間がかからなかったんですよね。
そりゃ病院へ行ったり、あれこれと手続をしたり…最低限の手間はかかりました。
しかし、例えば寝たきりになって排泄の処理を…というのはなかった。
父も母も過酷な病に侵されながらも、本当に綺麗に逝った…と思います。
とにかく、最後まで「母」は「母」でした。
こんなことしかできないのですが、とにかく父と母に対しては感謝する限りです。
看護師Kさんのご発展を祈る
突如、母に症状が出た2017年年末。
そして、数週間後の2018年1月下旬、母はボロボロの状態で緩和ケア病棟に転院しました。
その際、病院で母の担当となった看護師Kさんがいます。
Kさんはとても心が綺麗で、とてもキュートな方でした。
母が息を引き取った朝、Kさんも夜勤で病院にいたんですね。
ちなみに偶然にも、特にお世話になった看護師さん達がその夜は揃っていました。
そして、最終的に母を看取ったのは、Kさんと私です。
Kさんも夜勤明けの朝で大変だったと思いますが、母が息を引き取るまでの30分間くらい、ずっと母のそばで見守ってくださいました。
以前にそんなことも書いた記憶がありますが、もし私が結婚していなかったら「母が結びつけてくれたんだ…」とこじつけて、Kさんに告ってしまったと思います…笑
ちなみに、この2年の間にKさんもご結婚されていました!
ただ、2年半ぶりに会ったKさんは、キュートさに加え、美しさまで兼ね備えてしまっていました…。
とか、書いている場合じゃない。
ともかく、最後は私とKさんの2人で母を看取ることとなりましたが、その間、Kさんからある話を聞きます。
その病院では2~3年に一度、異動があるそうなんですね。
ただ、母が退院する際、母は「必ず戻ってくるから、その時もよろしく」とKさんにお願いをしたそうです。
Kさんは「母との約束」という言い方をしてくれましたが、母からの「お願い」というのが実際のところでしょう。
そんなこともあって、Kさんは希望を出して緩和ケア病棟に残ってくださった…とのことです。
これも感謝しかないですね。
そもそも「緩和ケア病棟」は、治る見込みのない患者さんが最後の時を過ごす病棟です。
そもそも入院するには、先が短い…という要件が必要となっています。
ですので、そこから退院することも異例ですが、退院後さらに2年以上も自宅で生活した…ということは異例中の異例でしょう。
実際に看護師さんも、記憶にないくらい異例だとおっしゃっていました。
ですので、Kさんも母が退院後、2年以上も持つとは思わなかったかもしれません。
ただ、ある意味、これでKさんも自由になりました。
また別の病棟に移って経験を積み、より立派な看護師さんになることを祈るばかりです。
これが母が救急搬送されてから8日目、8月7日(金)の朝の話でした。
で、このくだりは「母との最後の10日間」というタイトルを付けていますが、あと2日間残っています。
その2日間で何があったかと言うと、母の葬儀です。
母が亡くなった2日後の日曜日、葬儀を終えて、母は骨になりました。
父が亡くなった際は経験がなく、「そもそも何をどうすれば…」という感じでしたが…
さほど間隔が空かずに2度目でしたので、さすがにこなれたものでした…苦笑
ということで、次回は最後に「身内が息を引き取ってから、葬儀までの間」に何を行っていたのかを書いておこうと思います。
失礼いたしました。