結婚は「コスパ」が悪いという意見について

暮らし

こんにちは、こんばんは。
サマビーです。

今日は「結婚」をテーマに書いてみます。 私の中ではチャレンジです。

というのも、様々な状況で、様々な考えの方がいるでしょうから…「答え」なんてないんですよね。

だから、何を書いても1人よがりな感じがする。よって、書かないほうがよいくらい…苦笑

ただ一応、10年以上は婚姻生活を送っていますし、「一個人の勝手なコメント」くらいに読んでいただければ…と思います。

このくらいの前置きで始めないと、怖くて書けんわ…苦笑

スポンサーリンク

率直な意見は「そりゃそうだ」

少し前の話ですが、とある実業家の「結婚はコスパが悪いからしない」というコメントを目にしました。

私の率直な感想としては、そりゃそうだ…です…笑

ただし、率直な感覚としては「そう」なんですが、よくよく考えると難しい。

そもそも「コスパ」とは、コストパフォーマンスの略ですよね。

日本語にすると費用対効果でしょう。

「効果」というのが何を指すのか不明ですが、ひとまず「幸せ」を意味するとしましょう。

少なくとも私は、そのように受け取りました。

で、費用対効果の「費用」について、文字通りに「お金」と解釈した場合…


う~ん…どうでしょう?(長嶋茂雄風)


何かエグい話になりますな…苦笑

婚姻生活にかかるお金と、それによって得られる幸せのバランスが取れているかって話でしょ?


おいおい…もう怖くてコメントが書けね~よ~!…笑


まぁ、格好をつけるわけではなくて、「お金」のことを気にしたことはありませんね。

別に裕福とかではなく、「かかったお金」と「結婚で得られる幸せ」のバランスなんて考えたことがない、ってことです。

というか、そういう方が多数でしょうが、そもそも私は「結婚=幸せ」とは全く思っていませんでしたし、今でもそうです。

逆に「結婚=不幸せ」とも、全く思いません。

結局は、人それぞれです。


では、 費用対効果の「費用」について、「労力(や時間)」と解釈した場合はどうでしょう?

言い換えれば、「労力対効果」が伴うのか…という問題です。


う~ん…どうでしょう?(長嶋茂雄風)


仮に、現時点までで散々苦労をしている…としても、

色々とあった後…酸いも甘いもあった後…

死ぬ間際に「幸せだった…」と思う可能性もありますよね。

何とも言えませんな、これは…笑


ただし少なくとも、結婚生活って、面倒なことは多いですよね。

そりゃ、1人で好き勝手やっているほうが、楽チンに決まってます。

でも、ひょっとすると…「面倒なのがいい」とも言いうる。

何とも言えませんよ…こりゃ…苦笑


あと、これは相手や仕事にもよりますが、「仕事」に専念したい人は、結婚が障害になる可能性は高いでしょう。

そういう意味で「コスパが悪い」というのはわかる…という感じです。

でもこれだって、相手がいるから頑張れる…という人もいるでしょう。

それに、結婚していても「俺は好きなように生きる!」というスタイルを貫ける人は、さほど影響はないかもしれません。離婚する確率は、グッと上がるでしょうが。


まぁ、だいたい日本においても、3組に1組は離婚する時代ですから、元々それなりに難易度の高い制度なんでしょう。

そして、そもそも「コスパが悪い」という人は、自分の(やりたい)こと以外に「労力や時間」をかけたくない人なんでしょうね。

それが悪いとは思いません。少なからず私もそういう人間です。


では、今から10年前に戻れるとして、それでも結婚をするか?…と問われたら…


おいおい…変なことを書かせないでくれよ~!!

ホントやめてよね~。上手いんだから~。


ただ、今の子どもと出会えたことは、何事にも変えがたいですね。

少しセンシティブな話にかかわるので、この辺でやめときましょう。


ちなみに、「結婚」ってものをネガティブめに捉えれば、「煩わしい」のを取るか、「寂しい」のを取るか、という選択ともいえるんじゃないかな?

しかも、この選択に関しては「一方を選択中、他方を味わえない」という「不思議選択」だったりするんじゃないかな?

そう考えると、週末婚とか割と理にかなっているかな?

そのほうが平日に電話もするようになったりして、会話が増えたりするかも。

さぁ…なんか危険な気がするので、この辺でやめよう!…笑

もういいよ…というくらい話したテーマ

よくわからないですが、危険な香りもするので、もう結婚の話から逃げます…笑

このまま終わっても良いのですが、ちょっと余談を。

若い頃、「男女の友情は成立するか?」という話をしたことがないでしょうか?

この話って、結構、意見が分かれるんですよね。

私は「成立すると思う派」です。

成立派の根拠としては、実際に異性の友人がいる(と思っている)、というパターンが多い。

否定派の根拠としては、絶対に(一時的にせよ)やましい思いはある、というパターンが多いでしょうか。

この否定派の根拠について、私は異性の友人には、多少のやましい思いがあってもよいのでは?…と考えるタイプなんです。

というのも、「男同士の友情」「女同士の友情」形は同じなの?…という疑問があるためです。

なお、先日「LGBT」等の話を書いたばかりなのに、男女の2パターンに分けてしまって申し訳ありません。話を簡略化すべく、これで進めさせていただきます。

もし 「男同士の友情」と「女同士の友情」の形が異なるのならば、 これらと「男女間の友情」の形が異なってもよいのではないかと。

そして、「多少のやましさ」は、その異なる形の範囲内に入るのではないかと考えています。

まぁ、ケースバイケースでしょうが、一応は「多少」が前提ですね…笑

よし!

変な話を織り交ぜて、煙に巻いた気がするぞ!

失礼いたしました。


タイトルとURLをコピーしました