【明日など】もし1年後に死ぬとしたら【保証されていない】

seashore under white and blue sky during sunsetその他
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今日は2020年9月11日(金)。

今日はよもやま話の部類です。

「もし1年後に死んでしまうとしたら」…というよくある仮定をしてみます。

完全に身勝手なイメージですが、自己啓発セミナーとかでありそうですね…笑

ちなみに、別にそんな予定はありませんので、ご安心ください。

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まず会社を辞めるでしょう

「もし1年後に死んでしまう」と考えた場合、まず会社を辞めるでしょうね。

私の場合、全てはここから始まります…笑

かなり多くの「時間」が仕事で奪われていますので。

これを断ち切らないと、残り時間が活用できません。

また申し訳ありませんが、「私」の場合は、せめて最後に貢献を…と思える会社に勤めておりませんし…苦笑

もちろん、そのように思える会社にお勤めの方は、幸せなことだと思います。

仮に明日会社を辞めると伝えたとして、数日後にサヨナラできるとは思えませんが…

こんなケースでは、できるっだけ早く去ります。

ワガママを言ってね。

まぁ、残り時間は少ないですし、今までたいしたワガママは言ってきませんでしたから。

で、その後は子どもと遊びまくるでしょう。

結論として、これだけですね…私の場合。

1年後に消えるということを子どもに言うかは別として、せめて思い出をたくさん作ってあげたい。

というか、私が楽しみたい。

ただまぁ、子どもには「途中」で言うだろうなぁ…。

パパは働かなくてよいのか、疑問に思うでしょうから…笑

また、どうせ悲しい思いをさせるでしょうから、覚悟してもらわないとね。

なお、何ならちょくちょく学校も休ませて、たくさん旅行も行きたい。

学校へ事情を説明しに行ってもいい。聞いてくれるかは別として。

聞いてくれなくても、譲らないでしょうけど…笑

勉強のことだけなら、いくらでも取り返せるでしょ。

私の子どもですから…わっはっは…汗

で、お金はなくなるのでしょうが、完全にゼロにしなければOK。

生命保険金もおりるでしょうし。

子どもにとって、そんな1年間を過ごしてしまえば、そりゃ失うものもあるでしょう。

しかし、それより価値のある時間を与えられるかもしれません。

きっと、そんな気がします。

というか、1年後に「死なない」としても、そんな生き方のほうが良い気するするなぁ…。

やりたいことを思いきり行って生きる…というね。

なお、これはあくまで「仮定」ですので、病気で身体が弱っていく…という現実的な設定はナシにしております…。

教育って難しい…

こんなことを考えていると、子どもの教育って難しいなぁ…とも感じてしまいました。

縁起でもありませんが、もし「私」ではなく、子どもの残り時間が少なかったとしたら…

その場合、私は徹底的に甘やかすに違いありません。

ゲームも好きなだけさせる。

好きな食べ物も、お腹を壊さない程度に何でも。

歯くらいは磨かせますが…笑

でも、ゲームのし過ぎで多少目が悪くなろうが、運動不足で太ろうが…

わがままになって性格がねじ曲がろうが…苦笑

悲しいけれど、もう関係ないですから…。

ただ、この辺に賛否両論はあるでしょうね。

私も書いていて「本当にそれで良いのか?」という気持ちもフワッとあります。

普段は子どもに我慢させたり、叱ったり、勉強させたり、習いごとをさせたり…

結局これらは、将来、子どもが苦労しないように…という目的ですよね。

幸せに暮らしていけるように…とも言えます。

でもね…

「確実に未来がある」なんて、誰にも保証されていないんですよね…。

だから甘やかしてよい…ということになるわけでは決してありませんが…

どうなるかなんて、誰にもわかりません。

何が幸せに結びつくかも。

かなりの屁理屈ですけどね…。

もう少し屁理屈を言えば…「苦労しないように」とは言ったものの…

「苦労しない生き方」なんて、あるのかな?

誰かと比較すれば、そりゃある。

だけど、それは比較したらの話であり、何だかんだで苦労はするんじゃないの?

…などと考えてみたところで…

先のことなどわからないから、甘やかしてよい…ということには決してならず…笑

そりゃ適当に生きすぎて、食うに困って犯罪に走るような生活では、幸せではないでしょう。

ということで、何の結論も出なければ、何も生活も変わらない考え事でした…笑

ちなみに…

皆さんは「寿命を1年分〇万円で売ってくれ」と頼まれた場合、いくらで売りますか?

自分の残りの寿命がどのくらいあるか、それは不明という前提です。

きっと私は、いくら積まれても売らないでしょう。

一生遊んで暮らせる額ならば、まぁ、1年分だけ勝負するか検討してみますが…笑

ただ冒頭で書いたように、多くの人は「多くの時間」を仕事に奪われています。

それは生きるために当然のことでしょうし、私の働きぶりは別として…

「失っている時間」と「1年間の給与」が見合っているのか…と考えますと、少しゾッとする人もいるかもしません…苦笑

くだらない話まで、失礼いたしました。




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