悪性リンパ腫と抗がん剤 2度だけ見た母の涙(その1)

身体・健康

どうもサマビーです。
今日からは、母の話を書きます。

数年前に母は大病を患い、私もその対応で一時期は途方に暮れました。

まぁ、明るい話ではありませんが、その辺の経験談を書きます。

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始まりは2015年の春でした

母は2015年に、定期検査で悪性リンパ腫が見つかりました。

悪性リンパ腫は、簡単に言ってしまえば血液のがんです。

それまで母は、全く健康な状態で過ごしておりましたが、たまたま行った定期検査で腸に腫瘍が見つかり、精密検査の結果、悪性リンパ腫と診断されます。

それまで母の病院に付き添うことなどはありませんでしたが、その検査結果を聞きに行くときは、付き添いを頼まれました。

別に嫌な予感がしていた…とかではないと思います。

「ちょっとアヤしいので精密検査」という流れがあったため、念のため、私も同行させたのでしょう。

告知を受けた際は、よくない病気ということはわかりましたが、よくわかりませんでした。

そのくらい知らない病気でしたし、はぁ…どうすればよいのでしょう?…といった、どこかポカンとした感じだったと思います。

よくない病気とはいえ、一般的な悪性リンパ腫抗がん剤が効くがんであり、ちゃんと治療をすれば、寛解かんかい(一応、身体からがん細胞が消えたとされる状態)や完治までをも期待できるとの説明を受けます。

実際に当時、周囲の人に聞いてみると、悪性リンパ腫になったものの治療の結果、仕事をしながら休日はゴルフに行くほど回復した人の話など、復帰事例を3人ほど聞きました。

また、抗がん剤について、自分のことではなくても嫌だなぁ…と思いましたが、昔のイメージほど副作用は強くない(抑える薬もある)…とのことでした。

悪性リンパ腫は治る病気だし、まだ若いしもったいない!」…と先生からの強い勇気づけもあり、 母も「しゃーない、やるか!」という感じになります。

その時はまだ、母も私も希望を持てる状態でした。

ちなみに、一口に悪性リンパ腫とは言っても、かなり種類があるようです。

一般的には「非ホジキンリンパ腫」というタイプが多く、このタイプは抗がん剤が効くようです。

今後の治療方針について説明を受け、まずは腸で腫瘍化してしまっている部位を手術で取り除くことになりました。

腫瘍化した部分を残したまま抗がん剤治療を行うと、そこに穴が開くこともあるそうです。

告知を受けたのは5月でしたが、6月には手術を終え、少し休息後、8月から抗がん剤治療を行うこととなったのです。

あの頃から、何度手術を見送ったことか

腫瘍化した部位の切除手術は、無事に終わりました。腹腔鏡ふくくうきょう手術だったこともあり、身体へのダメージは大きく見えませんでしたね。

ただ、もともと母は腰が悪かったため、病院のベッドで腰が痛くなってしまい、寝ているのが辛そうでした。入院は10日間ほどだった記憶があります。

とはいえ、順調に退院までこぎつけ、ここまでは大きな問題がありませんでした。

後は1か月ほど身体を休めてから、抗がん剤治療に入ることに。

これは余談ですが、その少し前「妻」が子宮の検査手術を行いました。

なかなか子どもを授からないこともありましたが、妻は少し気になっていたようで、一度検査してみたいと言い始めたのです。

ちなみに、根拠はないようですが、その時の先生によれば、検査手術を行った後、子どもを授かることも多いようです。

検査のついでに子宮まわりの洗浄も行うようで、それが良いのかも…ということでした。

確かにその後、子どもを授かります。

ともかく、この妻の検査手術まで、私は手術をする人を見送る…という経験がありませんでした。

妻は「検査」でしたので、大げさな話ではありませんが、どうもあれをきっかけに、その後、何度も手術室へ運ばれる身内を見送るはめに…。

「妻→母→子→父→子」という連続です。別に妻のせいにするわけじゃなく…笑。


話を戻すと、あとは抗がん剤治療を乗り切る!…という状態に母はなります。

しかし、本当に乗り切れるのか…特に副作用が心配でしたね。

なんせ、6~7クールも予定されていましたから…。

抗がん剤治療は、1週間前後をかけて投薬をして、2週間くらい休む…というサイクル(クール)を繰り返します。1クールに3週間ちょいかけたとして、7クールで約6か月です。

8月の終わりから予定されていたので、終わるのは翌年の2~3月という気の遠い話。

正直なところ、本当に乗り切れるものか…漠然とした不安はありました。

初日は笑顔を見せていたものの…

まだ暑かった8月の終わりに、母の抗がん剤治療はスタートします。

それまでに色々と検査もあり、 それだけでも大変でした。もう母も70歳でしたし。

悪性リンパ腫が見つかってからは、手術もしましたがとにかく検査の連続…という印象もあります。やむを得ませんが、病院は混んでいますし、負担が大きいです。

ともかく、母の抗がん剤治療が始まった初日、私は仕事を早めに切り上げて、母のいる病院へ駆けつけました。

夏でしたので、病院に着いたとき、まだ外は明るかった。

どういうわけだか、あの夏の夕方の病院の記憶が、やけに残っています。

母に会うと大丈夫そうで、時折、笑顔も見せていました。

トイレに行った際に、めまいと吐き気も出たそうですが、「これなら行けるかな…」と言っており、少しホッとします。

気を紛らわせようと、しばし話をしてすごした後、「あと5日間、頑張ろうね…」と病院を出ました。

何種類もの抗がん剤を使いますが、副作用が強いものと、そうでないものがあり、3日目までが強めのものと聞いていました。

だから、ひとまずあと2日間はこの感じで行ってくれれば…と願っていましたが、やんわりとした不安は消えませんでしたね。

そして、その後すぐ、それは現実のものとなります。

少し長くなったので、
今日はこの辺までにします!

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