会社を辞めようとするタイミング 2度だけ見た母の涙(その3)

身体・健康

どうもサマビーです。
今日も母の話の続きです。

「その1」は、こちらから、
「その2」は、こちらからお願いします。

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「風邪」か「ものもらい」かな?…が始まりでした

母が悪性リンパ腫を発症し、抗がん剤治療に入ったものの断念…というのが前回までの話です。

それは2015年夏の話でしたが、治療をやめたということは、そのまま病気は進行していくわけで…。

母は何を思っていたんだろうな…。

抗がん剤治療をやめた後でも、特に1か月ほどはぐったりしてましたので、余計なことを考える余裕すらなかったのかもしれません。

しかし、少しずつ薬は抜けていき、その年の年末には、だいぶ元気を取り戻しておりました。

そして、幸いにも病の進行は遅く、その後の2年間は、ほぼ通常の生活を送れることに。

その2年間が母にしてみれば、最後の「日常生活」となったのかもしれません。

私のほうも2年以上も経過すると、このまま行けるのかも…なんて期待しちゃいましたね。

10kg痩せた体重も徐々に戻りはじめ、あと1~2年で元に戻るかも…というところまで来ていたと思います。

しかし、そんな日々も2017年の年末に突如終わります。本当に突如でした。

その年の12月29日、私は妻と息子を連れて、年末の挨拶に実家へ向かいました。

すると、母が「喉がイガイガするから、風邪薬を買ってきて」というのです。

また、昨日から涙が止まらないと言い、目が少し赤くなっていました。

ちょうどその少し前、私が「ものもらい」になったこともあり、「ものもらい」かもね~なんて言いつつ、風邪薬を買って渡します。

まさか大事になるとは思っていませんでしたし、むしろ風邪が息子にうつるのが嫌だったため(=ぜん息に移行しうるので)、少しのんびりした後、早々に帰ることにしました。

翌晩に電話をすると「調子は悪いけど、大丈夫」と母は言っていました。

ただ、電話でも調子が悪そうでした。

少し「あれ?」とは思いましたが、母が大丈夫というので大丈夫なのだろうと…。

そのまま年が明けて1月3日の夜、母から電話があります。

とても調子が悪いので病院に行きたいということ、そして、付き添って欲しいという内容でした。

前回にも触れたとおり、母は子どもに”お願い”をしたことがない人です。

これはよほど悪いのでは…と思い、二つ返事で母の病院へ付き添うこととしました。

会社を辞めようとしていました

母から連絡があったのは、1月3日の夜です。

2018年は1月4日が月曜日でして、私が勤めている会社では、1月4日が仕事始めでした。

実は年明け早々、私は会社を辞めるつもりでした。

さらっとぶち込みましたが…笑

この辺は改めて書こうとは思います。

まぁ、問題のない会社などないのでしょうが、色々と限界を感じていました。

2018年の年明け早々、社長が各社員と個人面談をすると宣言していたので、いきなり辞職をぶちこんでやる!…と考えていたんです…苦笑

2017年12月に辞めてしまえば良かったのでしょうが、年末の忙しい時期に言い出すのもなぁ…という気持ちが歯止めをかけていましたね。

よって、2017年~2018年の年末年始は、ずっと悶々と考えていました。

で、いよいよ明日だな…覚悟を決めていた前夜に、母からの電話があったのです。

結局、1月4日の仕事始めに会社を休むこととして、母の下へ向かいます。

ちなみに、だいぶ後になって聞いた話ですが、その年明けに個人面談は行われたそうです。

その後の私は、それどころじゃない…という感じになりましたので、面談も流れましたね。

もし別の日に面談があったとしても辞めると言わなかったでしょう。

その流れで、現在もその会社に勤めています…苦笑。良かったのか悪かったのかは…わかりませんが。

まぁ、今からあの少し前に戻るのならば、速攻「辞職届」を出すでしょう…笑

そのくらい良いタイミングだったと思います。

ともかく話を戻しますと、1月4日の朝、母の下へ向かったところ、もう会社を辞めるとか言っている場合ではない、過酷な状態になっていたんです…。

今回はここまでにして、また続けさせていただきます!

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