母へ告知した日 2度だけ見た母の涙(その5)

身体・健康

どうもサマビーです。
今日も母の話の続きです。

前回の話はこちらからお願いします。

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呆然とした「退院勧告」

前回までの話を簡単にまとめますと、母が2015年に悪性リンパ腫を発症、抗がん剤治療に入るも断念します。

その後、2年ほど日常生活に戻れたものの、2017年の年末に唇や口腔内が“ただれる”という症状が出て、検査の結果、腫瘍随伴性天疱瘡しゅようずいはんせいてんぽうそうという難病であった…という話でした。


母が入院したのは、2018年1月4日です。

当初は薬疹やくしん(つまり薬の副作用、スティーブンス・ジョンソン症候群)が疑われ、対処療法として、ステロイドパルス療法というステロイドを大量投与する治療が行われました。

詳しいことはわかりませんが、ステロイドには炎症を押さえる効果があるようで、3日間かけて行われました。

年末の挨拶に出向いた際には普通であった母が、ものの5~6日でボロボロになるほど病気の進行は凄まじかったのですが、効いてくれ…これで終わってくれ…と神様に祈りながら、過ごした3日間でした。

しかし、「やらない」よりは良かったと思うものの、ステロイドパルス療法を凌ぐ勢いで、病は悪化します。

そこから1週間後には、紅斑こうはんという発疹ほっしんのようなものが体中に出現し、さらに目には偽膜ぎまくという症状が出て、その影響で母はほとんど目が見えなくなってしまいました。

偽膜とは、こんな例えでよいのかわかりませんが…

温めた牛乳の上に膜がはるように、目にも薄い膜ができてしまう症状です。結果、目が見えなく(にくく)なります。

母は「光は感じられる」程度の視力となり、 私は「病で失明した」と思いました。

そう…病院からは何の説明もなかったので、失明したと思いましたね。

改めてこの話を書いていて、今になって気がつくことがありますが、最初に入院した病院では、色々な説明がなかったと思います。

ひょっとしたら、母は説明を受けていたのかもしれませんので、その場合は申し訳ない…。

もし母も説明を受けていなかった場合、逆に言えば、それだけ母の病に対する対応力がなかったのかもしれません…。素人考えで、本当に申し訳ございませんが…。

とにかく、わずかな期間にボロボロになっていく母を見て、「おさまれ…治まってくれ…」という思いしかありませんでした。

母は厳しい状態でしたが、その頃の私と母はまだ薬疹だと思っており、まだ「これがおさまれば…」との希望はありました。

そして、その病院の看護師さんや栄養士さんは、とても皆さん親切な方々ばかりで、とても良くしてくださいました。母は「最後はここでもいいかな…」と言っていたくらいです。

そんな矢先、私は病院から呼び出しを受けます。

母にばれないよう、とある平日の午前中に病院に向かいます。

そこで出た話が、母は薬疹ではなく腫瘍随伴性天疱瘡という病気であること。

それは悪性リンパ腫をきっかけに発症した可能性が高く、抗がん剤治療で、悪性リンパ腫を叩かねば治らないこと。

そして、前回にも書いたように、その流れで突然「はっきり言って退院してほしい」という発言です。

めまいが出る感じでした。

まだ母は症状がおさまる希望を持っていましたし、その病院を気に入っていました

でも裏では「退院してほしい」と言われていた。

その後、ちゃんと対応できる大学病院に行ったほうが…と勧められましたが、どの病院にするかは自力で探して、受診して…という形です。

食事もとれない、目も見えない、フラフラの母を連れて、大学病院に「初診」から始めるのはとても無理だ…と思いました。


「ちゃんと対応できる病院に行くべき」というのは、心底その通りだと思います。

でも、未だに謎なんですけど、いきなり「退院してほしい」という言い方は…何だったのか…。

言葉を間違ったのか…とか思いたくもなりますが、むしろ怒りをぶつけてきた感があったので、なんか理由があったのだと思います。

例えば、「うちでは対応できないから、転院すべき」なら、わかります。

転院に当たっての相談をさせていただいたでしょう。

また、母は悪性リンパ腫の治療は止めていたわけで、その治療を行わない場合、天疱瘡も治らないとわかったわけですから、「病院というものは治療を行わない場合、置いておけないんです。」といった説明でも、理解はできます。

困りはしたでしょうが、そういう施設は療養施設になるんだよ~と説明があればね。

何がどうなったら、突然の「はっきり言って退院してほしい」という言い方になるのか…。


ただし、「いきなり言われても困る…」ということは伝え、その場で出て行けと追い出されたわけではなく、しばらくは入院しててよいから検討してね…という形で決着しました。

その日は車で病院に行きましたが、病院を出て家族に何と伝えるか、そもそもどうしたらよいのか…、1時間近く街中をグルグル回って考えていました。

善意という危険

母の病状のことは、自らの命に関することであり、母に黙っているわけにはいかないと考えました。

ひょっとすると伝えることで、治療を再開する可能性もゼロではなかったですし。

ちなみに、病院から「退院してほしい」と言われたことは、未だに母には話していません。

というか、誰にも言っていません。言ったところで、誰もハッピーにはならないでしょうから。


ともかく、母に伝えねばならなかったことは、薬疹ではなく、腫瘍随伴性天疱瘡という病気であったこと。そして、それは抗がん剤治療を行わなければ、治らないこと。

しかし、どのタイミングで、どのように、これらを伝えるのかは悩みました。

抗がん剤治療を拒否している母にとって、基本的には、そのまま死の宣告となるためです。


ところが、病院から呼び出しを受けた翌日、確か土曜日でした。

何ごともなかったかのように母の下へ訪れますと、前日に私が病院に来ていたことを、私の姿をたまたま見た看護師さんが、母に伝えていたんです。

『さっき息子さんが来てましたよ~』って感じで…苦笑

アカン…。

私が1人で病院に来て、母の病室を訪れずに帰ったなんて、なんか医者と話をしたことがバレバレじゃないですか。

しかも、その件に私が触れないということは、良からぬ話であることは容易に想像できる。

もちろん、その看護師さんのことは「全く」恨んでおりません。

事情は知らなかったでしょうし。しかし、善意の怖さって…ありますよね…。

こっそりと病院に来ていたことが母にバレたという事実を知ったとき、覚悟を決めました。

私は母に、病気のことを打ち明けます。「実は昨日…」といった入り方だったと思います。

そして、それでも母が抗がん剤治療を行う気はない、という意思も確認しました。

文章で書くとさ~~っと流れていきますが、初めて母が悪性リンパ腫になったと判明した2015年からは、本当に色々なことがありました。すべてをここで書いたわけではありません。

そこで、母の意思を受け止めた後、私は母に…

「ここまで色々とあったけど…(もう頑張るのは)ここまでにしよう…」と言いました。

同時に「それでも俺は明るく行こうと思うから」と言ったと思います。

すると母は、もう何も見えなかったであろう目から、ボロボロと涙を流しながら…「いい人生でした」と言いました。


母が涙を流した姿を見るのは、この時が人生で2度目でした。

1度目が、抗がん剤治療をやめたいと訴えたときですね。

部屋には、窓から夕陽の光が差し込んでいて、もう母はこの夕焼けを見ることもないんだな…なんて考えていたと思います。

そして別の問題として、母はその病院から出なければなりません。早い話「退院しろ」と言われていて、実際に1週間もしないうちに、その病院を出ます。

しかし、その日はそういった話はせず、少し雑談をして帰りましたね。

その夜、母は1人で何を考えていたんだろうな…。

ところがこの後、少し変わった展開を迎えます。

長くなりましたので、今日はここまでにします。

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