父との最後の会話 最初の会話は何だったんだろう?

身体・健康

どうもサマビーです。
今日も父の話を書かせていただきます。

なお、ここまでの流れについて、1回目の話からご覧いただける場合はこちらになります。

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リハビリテーション病院への転院手続

前回までの話を簡単にまとめると、次のようになります。

父が脳梗塞を発症、左半身不随となる。
   ↓
・父が転院を希望する。
   ↓
・調べるとリハビリテーション病院は、発症後2か月以内でないと入れない(その時点で発症後1か月は経過、入院先の病院からはアナウンスなし)
   ↓
転院準備をしようにも、医師のOKが取れずに10日ほどが経過(しかし、病院内の連携ミスで、とっくにOKがでていた)

…となります。

ともかく、転院OKの事実を知った私は、すぐに3つのリハビリテーション病院に連絡を取ります。

というのも、リハビリテーション病院に入るためには、まずは面接(施設紹介等)が必要になるのです。


ここからの流れは、今も忘れません。

転院OKだったことを知ったのは、木曜日の夕方でした。

そこで、金曜の朝イチ面接の予約を取り、1つの病院はその日の夕方に予約が取れたので、会社を早退し、その病院へ向かいます。

ハイペースで動いたのは、入院可能な残り時間もありますが、できるだけ早く転院させてあげたかったからですね。

そして、面接を行い、転院の希望を出し、空きがでたら入れることになりました。

ここまで行うと、あとは病院間でやり取りをしてくれて、指示を待つことになっていたと思います。

また、残り時間内に空きが出るのかは微妙でしたので、その面接が終わった直後、その病院前から別のリハビリテーション病院にも電話をして、週明けに面接の予約をしました。

リハビリテーション病院のパンフレットを片手に…

第1希望のリハビリ病院の面接が終わったのは、金曜日の夕方でした。

翌日の土曜日その病院のパンフレットを片手に、父のもとへ行きます。

その日の父は、調子が良い日でした。

少し雑談をした後、パンフレットを見せて、転院予定の病院は新しくて綺麗であること。見学しに行ったら良いところだったということ。

個室もあったし、テレビも見れそうだよ…という話。

そして、予約はしたから、空きがでたらすぐに移ろう…という話をしました。

本当は、移れるのかどうかは、わかりませんでしたが…。

ただ、父は嬉しそうにしましたね。

少し希望も持ってもらって…
雑談も少々して…、

私は「じゃぁ、またね」と言って、帰りました。

父は「ありがとな。気を付けろよ。」軽く右手を挙げていました。

元気だった頃のような、その父の顔は忘れないでしょう。




その夜、父は5度目の脳梗塞を発症し、危篤状態になります。

翌朝に病院へ向かい、人工呼吸器をつけた父と会いました。

医者の説明では、意識が戻ることはないだろうし、このまま命を持っていかれる可能性が高いと。

私が1番聞きたかったのは、痛みとか、苦しみとかがあるのか?…ということでしたが、「もうそれもない」とのことでした。


それを聞いてホッとしました。

そしたら、涙があふれてきましたね。

まだ死んだわけではありませんでしたが、お疲れさま…という気持ちです。

医者の話では、その日のうちにも、少しずつ血圧が低下していき、亡くなるだろう…との見立てでしたが、その日は持ちこたえます。

そして、実家で待機していると、翌日の昼に「そろそろ危ない」と病院から連絡が入りました。

私が病院へつくと、血圧が50~60くらいまで下がっていたでしょうか。

そして、看護師さんが「息子さんが来ましたよ~」父の耳元で言うと、

それを待っていたかのように、みるみる血圧が下がっていき…

私の到着後、わずか数十秒の間に、父は息を引きとりました。

かろうじて、私は父を看取ることができたのです。


父の最期の1か月半は、本当に厳しいものだったと思います。

母のこともありますが、「人って、こんな辛い思いをしなければ死ねないのか」…とも思いました。

何もしてあげられなかったのは残念ですが、せめて最後に「転院先のパンフレット」を見せることができて、良かったです。



しかし、私と父の「最初」の会話は何だったんでしょう?

私:「ぱぱぁ~」
父:「よちよち!」

…だったんですかね。


次回はせっかくなので、この流れで、私にとって初体験でもあった、父の「葬儀」の話を書きたいと思います。

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