【最後は眠るように】母との最後の10日間【その1】

その他

こんにちは、こんばんは。
サマビーです。

今日は2020年8月13日(木)。

このブログを始めて、10日間も更新を止めたのは初めてです~。

というのも、タイトルをご覧いただければ想像できると思いますが…先週末に母が息を引きとりました。

まぁ、無理やり更新しようと思えばできましたが、この10日間の間には色々とありましたし、単純に疲弊していたので、ブログは休ませていただきました。

ここから数日は、この10日間ほどで何があったかを書かせていただきます。

スポンサーリンク

コインランドリーにて…

知り合いならまだしも、私の素性を知らない人にとっては「お前の身内の話なんて興味ないよ」という感じでしょう…笑

ただまぁ、自身の備忘録も兼ねて、この10日間ほどの話を書かせてください。


そもそも私の母はここ5年間ほど、闘病生活を送ってきました。

簡単に書きますと、母は5年ほど前に悪性リンパしゅが見つかり、手術で腫瘍しゅようを取り除いた後、抗がん剤治療に入るも断念してしまいます。

どうしても抗がん剤治療が合わなかったんですね。

ちなみに、母の名誉のために書きますが、母は恐ろしく我慢強い人です。

しかし、抗がん剤だけは、どうしてもダメだった…。

愚痴をこぼしたこともないような母でしたし、体調が悪いことを我慢し過ぎて、死にかけたこともあるくらいだったんですけどね…。

ともかく、抗がん剤治療をあきらめた後、2年近くは比較的穏やかな日々を過ごせていました。

しかし、2017年年末に突如、身体中の粘膜部分がただれるという重篤じゅうとくな症状が発生し、天疱瘡てんぽうそうという病気であることがわかります。

色々とあったすえ、都内の某緩和かんわケア病棟びょうとうに入ることとなり、2018年の3月末にはそこで亡くなる見通しだったんです。

しかしその後、容態が安定して、緩和ケア病棟から退院することとなり、つい先日まで家で過ごしておりました。

少し長いシリーズですが、ご興味を持たれた方は、下記のリンクをご参照ください。

ということで、話を先日の7月31日(金)時点に戻します。

7月31日(金)から8月2日(日)までの週末、私は母の生活の手伝いに実家に出向くことになっていました。

要するに、「介助かいじょ」ですね。

通常は仕事後の夜に向かっていますが、その日は1日だけ夏休みを取っていたんです。

仕事の都合上、まとまった休みは取りづらいですし、ならば週末に1日づつ夏休みをくっ付けて、8月は完全に週休3日にしてやろうかと…笑

ということで、7月31日(金)は家のことをゆっくり片づけて、夕方くらいからのんびり実家に行こうかな~と考えていました。

そんなわけで、朝に洗濯をして、近所のコインランドリーにいたんです。

そして、洗濯物が乾いて、取り込んでいるときに兄からの電話が鳴りました。

変な時間に身内から電話がある時点で、もう怖いです…苦笑

ハッピーな出来事ならば、慌てて連絡はしてこないですからね…。

ただ、その日は実家へ行くことになっていましたし「何か用事かな…」とも思って電話に出てみると…

母を救急搬送したとの内容でした。

朝起きると、母の呼吸が苦しそうだったそうです。

そうかぁ…という気持ちでしたね。

いつか来ることですし、やむを得ない…という感情でしょうか。

ともかく、救急搬送された母は、元々お世話になっていた某緩和ケア病棟で診てもらえることとなりました。

そして、その連絡を受けた後、私は検査結果や今後のことを聞くため、病院へ向かうことにします。

付き添っていた姉に任せておいても良かったのですが、姉は病院との話し合い等が滅法苦手なタイプでして、私も行った方がいいかな…と思ったんですね。

これが、この10日間の始まりでした。

想像できなかった面会禁止

7月31日(金)の午後、ひとまず私は母の搬送先である病院へ向かいました。

たまたま夏休みを取っておりましたが、出社していても病院へ向かうこととなったでしょうから、ちょうど良かったですかね…苦笑

で、病院に着くと、ちょうど検査結果が出たくらいのタイミングで、母の状況と今後について、先生方と話をすることができました。

まず検査結果は、重度の肺炎を患ってしまっている…とのことでした。

そして、今後のことは、高齢ですし、もともと弱っている状態でしたので、どう動いていくかはわからない…という話でした。

ただし、抗生剤等を投与して、酸素マスクを付けると母は落ち着いたようで、その時点では笑顔も見られる状態だったそうです。

これはホッとしましたね…。

スムーズに快方へ向かうとは思っていませんでしたが、どちらにしても苦しまない形であれば…という思いがありましたので…。

とにかく、後のことは、もう病院にお任せするしかありません。

ただし、新型コロナ対策のため、面会が一切できなかったんですね。

身内であっても、です。

しかも母は重度の肺炎でしたし、その時点では、母自身が新型コロナに感染している可能性もありました。

ですので、万が一の場合、延命措置を行うか等々の確認も行い、今後のことは、まずはPCR検査の結果が出てから…となりました。

ちなみに、万が一の場合、延命措置は行わないことにしました。

「しました」というか、これは本人の希望でもありますし、2年前に母が緩和ケア病棟に入ったときから、変わらない方針です。

まぁ、同様の選択をする人のほうが多いでしょうね。

ただし、実際にそれを口に出すのは、少し怖かったりもします…苦笑


ともかく、病院を出た私と姉は、ひとまず実家に向かいました。

そして、実家にポツンと残った母のベッドを見ると、少し寂しい気持ちになりましたね。

いつも「そこにいるはず」の母がいない…という寂しさでしょうか。

しかし、2年もの時間をかけて、こういう日が「いつかは来る」と覚悟はできていましたし、ショック等はありませんでした。

ただ、面会が一切できない…というところまでは、想定していなかったなぁ…。

最後に伝えるべき言葉を残してある…なんて話を少し前に書いたばかりでしたしね…笑

で、7月31日(金)は母が入院することとなったため、私は実家にいる意味がなくなります。

母が危ない…という連絡が来る可能性はありますが、その時点では落ち着いていましたし。

ですので、その晩は実家に泊まって、私は翌朝に自宅へ帰ることにします。


ということで、長くなりましたので、今日はこの辺で止めますが、この7月31日(金)からの3日間で、私は自宅と実家を4往復することになります…苦笑

その辺の話は、また明日以降に続けさせてください。

失礼いたしました。

タイトルとURLをコピーしました