どうもサマビーです。
今日も父の「葬儀」の話を書きます。
「告別式→火葬」を行った日の経験談であり、これで完結です。
「告別式」の流れも確認しておきます
前回の記事では、「お通夜や告別式とは何ぞや?」という話を書きました。
おさらいしておきますと、「お通夜」は、お別れを惜しむセレモニー、「告別式」は、冥福をお祈りするセレモニーですね。私の認識ですが。
一般的な葬儀としては、1日目にお通夜を行い、2日目に告別式を行うことが多いのでしょう。
まぁ、儀式(セレモニー)ですので、難しいことは考えず、”そういうもの”と考えておけばよいのではないでしょうか。
ということで、1日目の「お通夜」が終わり、2日目に行われた「告別式」の経験談です。
まず、告別式の流れを書いておきますと、基本的には、お通夜と変わらない感じでした。
①受付をして
②参列者が着席したら僧侶が入り
③お経を読んでもらい
④お焼香をして
⑤僧侶からお話(説教)をいただき
⑥喪主からの挨拶
⑦そして、思い出の品などを入れたり、ひつぎの中にいる故人と最後のお別れをして、火葬場へ出棺します。
⑦が異なる感じですかね。私の記憶に誤りがありましたら、申し訳ございません。
前日のお通夜に引き続き、上記⑥までは淡々と進めていた私ですが、さすがに⑦の最後の別れとなると、こみ上げるものがあります。
「では最後のお別れを…」と進行役の方に促され、皆がひつぎに近づいて、声をかけたりします。
言い方が難しいですが、形ある父を見るのは、これで最後だな…という気持ちでしょうか。本当のラストは、火葬場になるのですが。
ちなみにその間、ご住職さんは、近くでずっとお経を読まれていました。
なんというか…カオスな世界観でした。
そして、参列していただいた方が、各々別れを告げると、火葬場へ移動します。
火葬場は車で10分ほどの位置にありました。考えもしませんでしたが、火葬場は混んでいましたね。そりゃそうかぁ…とも思いましたが…。
係の人に促されながら、焼却炉の前まで移動し、集まります。
ここで父とお別です。本当に本当の見納めは、ここになるのでしょう。
最後に父の顔を見て、 もう一度、父に対して「お疲れさま。ありがとう。」と心の中で声をかけました。
そして棺は閉じられ、ガチャン!…という音とともに、棺が焼却炉に入っていきます。
焼却には30分くらいかかりますので、その間、私たちは控室で待機しました。
これも意外でしたが、火葬場までご住職さんは付き添っていただけるんですね。
告別式が終われば、帰られるのかと思っていましたが、 骨を拾い終わるまで、付き添っていただけて、お経を読まれていました。
ちなみに、控室では、ご住職さんと一緒に待機していましたが、何の話をしてよいのか悩みました…笑。真言宗の考え方などを教えてもらいましたね。
まぁ、何の話をしてよいのかわからない…というほど、今の日本では、お坊さんが身近な存在ではないのでしょう。
イケメンのご住職さんだったので、姉の結婚相手にどうだろうか…と考えもしましたが(笑)、色々と聞くと結婚しており、お子さんもいらっしゃいましたね。
なお、兄はかなり善良な人間ですが、しばしば毒を吐きます。
イケメンのご住職を見て、「帰ったらダンディハウスにでも行くんだろ」とか言ってました。
やめなさい…。
ともかく、火葬が終わると呼ばれて、骨を拾いにいきます。
実際にすべての骨を拾ったわけではなく、いくつか拾うと、後は係の人が行いました。
えぇっと…不謹慎かもしれませんが、それこそ理科室の標本のように、しっかりと骨の形がわかるのかな(息子に見せて大丈夫かな?)…と考えていましたが、ほとんど何がなんだかわかりませんでした。
ちなみに、骨を拾う際、4歳の息子は不思議そうに「じぃじは、どこに行ったの?」と私に聞きましたね。
「エレベーターで天国に行ったんだよ」とお茶を濁しました…笑。
しかし、父が元気なときに生まれていれば、たくさん遊んでもらえて、たくさんおもちゃを買ってもらえたのになぁ…。
その夜、母の下へ報告に行きました
火葬場で骨を拾い終わることで、2日間にわたる葬儀が終わります。
基本的には、そこで解散です。
とても天気の良い日でしたね。胸のつかえが1つなくなったような…。
その後、遠くから来てくれた親戚の方も含めて、身内だけで食事会を行い、本当にフィニッシュ。
なんだかホッとしましたね。
ちなみに、ここまでの葬儀の話は「間に合わなかったリハビリテーション病院への転院」で書いた、私がリハビリ病院へ面接に出向いた日から、わずか1週間ほどの間の話です。
父は、最後まで子どもたちに迷惑をかけず、綺麗に死んでいきました。
家族のため、とにかく働きとおした父に、感謝しかありません。
ところで、食事会が終わった後、私にはもう1つやるべきことがありました。
緩和ケアに入院中だった母に、報告に行くことです。
母の入院していた緩和ケアでは、面会時間に制限がなかったため、その後、私は母の下へ向かい、父の葬儀が終わったこと、そして、その2日間の報告をしました。
少しホッとしたこともあり、その夜はしばし母と歓談していましたね。
夜10時頃まで病室にいて、帰った記憶があります。
父が倒れてから最期までの話は、以上です。続けて読んでいただいた方は、ありがとうございました。
そして、いくつかの雑談を挟んだ後、次は母の話を書くつもりです。
ここまでの父の話と同時期に、母の話は進行していたのです。
マジでぶっ倒れそうでした…苦笑