【母との最後の10日間】ただただ横で寝て過ごした夜【その5】

tilt lens photography of white flowersその他
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こんにちは、こんばんは。
サマビーです。

今日は2020年8月19日(水)。

東京では…というか、おそらく全国的に殺人的な猛暑が続いています…。

こんなん外で活動できないっしょ…。

しかも、マスクを付けていると顔が暑くてしょうがない…。

皆さんも極力ご無理はなさらないように…。

さて、今日も8月初旬に亡くなった「母との最後の10日間」の話です。

前回の話は下記リンクをご参照ください。

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間に合わなかった2度目のタブレット面会

前回までを簡単に振り返りますと、2年ほど闘病生活を送っていた母が7月末に体調を悪化させて救急搬送されました。

母は重度の肺炎を患っており、入院後に悪化して「1週間はもたないであろう」と診断されます。

病院では新型コロナ対策のため面会が禁止されていましたが、8月2日(日)に特例で代表者1名が10分間だけ面会を許され、私が面会をしてきました。

さらに数日後の8月5日(水)、タブレット端末を使った面会を行った…という話が前回までの話です。


前回の最後に書きましたが、タブレット面会を行った後、いくつか「ああすればよかった…」という点に気がつきます。

たいがいはそういうものですよね…笑

例えば、こちらもタブレットを使えば場所は自由なので、それこそ外から中継して、母に外の景色と、元気に走り回る息子の姿を見せてあげたかった。

なので、その週末の金曜日にもう一度、タブレット面会を行おうと考えていました。

しかし、タブレット面会を行った翌日の8月6日(木)。

仕事後の帰宅中、病院から「いよいよ危ない」という連絡がありました。

ちなみに、兄弟の中では、私が最も病院から遠くに住んでいます。

私は2度の面会ができましたし、本来であれば、近くに住む姉が向かうはずですが、怖かったのでしょう…。

姉から「行ってくれない?」と打診されました。

また、病院からはいつ息を引きとるのかは読めないので数日間、いわゆる缶詰めになる準備もしてきてください…と言われました。

以前ならば自由に出入りできましたが、現在は新型コロナ対策のため、一度病室に入ると、極力出入りが禁止されていたんです。

ということで、私は一度家に帰り、シャワーを浴びて一息ついてから…

気持ちを落ち着かせて、病院へ向かうことにしました。

ちなみに、ここまで書いてきた「母との最後の10日間」の流れをまとめますと、以下のようになります。

7月31日(金)
母が救急搬送された日。
たまたま夏休みを取っていたので、病院へ直行。
その日は実家に泊まる。

8月1日(土)
ひとまず母は落ち着いているとのことで、兄に母への手紙を託して、昼前に自宅に戻る。
   ↓
しかし、手紙の内容等が気になり、自宅で書き直した後、夜に手紙を差替えに実家へ向かう。
   ↓
手紙を差替え、自宅に戻る直前、母の容態が悪化との連絡が来て、再度実家へ。

8月2日(日)
母が落ち着いたようなので、朝に自宅へ戻る
   ↓
しかし、昼に10分間だけ面会許可が出て、再度病院と実家へ向かう。

8月3日(月)~4日(火)
仕事。タブレット面会の手順を確認。

8月5日(水)
会社を休んでタブレット面会を行う。
(金曜日に再度の面会をねらう)

8月6日(木)
仕事後に病院から連絡があり、病院へ向かう。
  ↑
今日はココの話です…笑

すぐに翌日は休みを取りましたし、その後は土日でしたので、缶詰めになったとしても「とことん付き合おう」という気持ちでしたね。

そして、夜9時前くらいに、私は病院に到着します。

病室に入ると、多少呼吸が荒いものの、母はぐっすり眠っているように見えました。

看護師さんが「息子さんが来ましたよ~」と母に声かけをしましたが、せっかくよく眠っているように見えたので、「そのまま寝かしてあげてください」と止めました。

目覚めることのなかった母

母はたまたまぐっすり眠っているだけかと思いましたが、結論として、そのまま目覚めることはありませんでした。

しかし、私が到着する3時間ほど前まで、呼びかけに頷いていたそうです。

ですので、私は母が目覚めるものだと考え、到着後も呼びかけることなく、そのまま寝てもらっていました。

そのくらい、ぐっすり眠っているように見えました。

そして、母が寝ているベッドのわきで、ソファに身体を預けて私も横になります。

ここまで飛び飛びで会社を休んでいたこともあり、この日は忙しかった…。

また、自宅と実家(及び病院)を行ったり来たりの数日でしたので、かなり疲れていたと思います。

眠りずらい簡易ベッドであっても、私はそのまま眠ってしまっていました。

夜中に2度ほど看護師さんが、母の身体を拭きにきてくれて、その際に私もウトウト目覚めた…という感じですね。

看護師さんが1度目に来たのは、午前0時過ぎ。

その際にようやく「母の意識が戻ることはないのかな…」と気がついた感じです。

ですので、私はそのタイミングでスマホを取り出し、2度目のタブレット面会で見せるつもりだった息子のピアノを弾いている動画を母の耳元で再生しました。

家を出る前に、息子に頼んで撮影してきたものです。

息子が弾いていたのは「森のキツツキ」という曲。

母に届いたのかはわかりません。

「〇〇が弾いてるよ。上手になったでしょう。」と2~3度再生しました。

静かな曲で、私はきっとこの曲を聴くたびに、この夜のことを思い出すんでしょうね。

また、その病室は病院の11階にあり、窓から見える景色がとても綺麗です。

カーテンを開けて、母に「相変わらず綺麗な景色だねぇ…」と語りかけつつ、しばらく夜景を眺めていました。

一度はもう母が死ぬ…と言われた2年ほど前、幾度となく眺めた景色です。

ただこの日は「もうこの景色を眺めることはないんだろうな…」と思いました。

しばらく夜景を見た後、また私はソファで横になりました…。

そして、気がつくと明け方の午前5時頃看護師さんに起こされます。

「そろそろのようです…」

そんなセリフだったと思います。

窓の外から、眩しいほどの朝日が差し込んできていました。

ということで、長くなりましたので申し訳ありませんが…今日はこの辺で…。

もう一度、続けさせていただきますね。

失礼いたしました。

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