初めて父が遊びに来た日と一過性脳虚血発作(TIA)

身体・健康

どうもサマビーです。
皆さんは、救急車を呼んだことがありますか?

ない人のほうが多いと思いますが、私は一度だけあります。

今日はその時の話を書きます。

スポンサーリンク

初めて父が新居へ遊びに来た日

私の父は、2018年に亡くなりました。

原因は脳梗塞のうこうそくで、最後は5度目の脳梗塞でした。

父が初めて脳梗塞を発症したのは、約10年前です。

それは、私が結婚し、新居に初めて父を呼んだ日のことでした。

その日は、私の家族である父母と兄弟を招き、新居を見てもらった後、皆で食事を…という流れでした。

当時の父は70歳になろうとしていましたが、まだバリバリ働いていました。実家で商売をしていたんですね。

割と肉体労働だったこともあり、70歳になっても父の背中はがっちりとしており、「質実剛健」という感じでしたね。

また、とにかくよく働く人でした。自分の店だったこともあるのでしょうが、文句も言わず…。

単純に凄いと思っていましたし、敬意を持っていました。

ともかく、新居に父母等を迎い入れ、皆で食事をとった後、父はソファで横になります。


そして、起きた際に異変が生じました。

「ろれつ」が回っていなかったのです。

後で聞くと、「コーヒーをくれ」と言っていたそうですが、本人はちゃんと喋っているつもりだったそうです。

しかし、「あうぅろれぇあう…」みたいな感じで、一瞬でおかしいとわかるレベルでした。

瞬時に「危ない!」と思った私は、救急車を呼ぼうと電話に近づきましたが、救急車を呼んだことがない私は一瞬、躊躇した記憶があります。

妻に「呼ぶぞ」と一声かけると、「呼んで!」と即答してくれたので、すぐに電話をかけられましたね。

今から思うと、何も躊躇する必要なんてないんですよね。

何で躊躇したのか…不思議なくらいです…苦笑。

もし万が一、皆さんも救急車を呼ばざるえない状況に出くわした場合、少し躊躇したとしても、えい!…と呼んでください。

また、地域にもよりますが、迷った場合の相談ダイヤルもあるようです。

例えば、東京だと、以下のものですね。

<東京 救急相談センター>
#7119(携帯電話、PHS、プッシュ回線) 年中無休

※ダイヤル回線電話やつながらない地域からは、下記の番号とのこと。
 23区 03-3212-2323
多摩区 042-521-2323


話を戻しますと、父の異変で、場の空気は凍り付きます。

父は状況がわかっていなかったようですが、起きようとする父を「いいから横に…」とソファに寝かせて、救急車が来るのを待ちました。

一過性脳虚血発作(TIA)

幸いなことに、父はすぐに元に戻りました。

ろれつが回らなかったのは、ほんの数十秒間です。

しかし、脳梗塞が発生したのではないか…ということは、素人の私でもわかりました。

そして、救急隊員が来ると、父を救急車に乗せ、私と母が同乗して、病院へ向かいました。

ちなみに、救急車の中のことで私が記憶しているのは、結構、車内が寒かったこと。夏場の話ですが、エアコンが強めに効いていたんだと思います。

病人を乗せるのに…と思った記憶がありますが、医療機器があるためなのかもしれません。

ともかく病院へ着くと、CTなどの検査を受け、結論としては、一過性脳虚血発作いっかせいのうきょけつほっさ(TIA)を発症したとのことでした。

一過性脳虚血発作(TIA)とは、脳の動脈が血栓けっせん(血のかたまり)で詰まることで、麻痺などの症状が現れるものです。

ただし、血栓がすぐに流れるなど、脳細胞が死んでしまう前に血液の流れが戻ることで、脳細胞が機能を回復して、症状が消えます。ほとんどのケースで数分から数十分以内に、消えるそうです。

なお、脳の血流が詰まった状態が続くと、その部分の脳細胞は死んでしまいます。この状態が「脳梗塞」です。

何も初めて自宅へ招き入れた日に…とは思いましたが、逆に皆がいた場面で良かったのかな…とも思いましたね。

近くにいたのが母だけだったら…と考えると特に。

で、病院で説明を受けた後、割とあっさりと私たちは帰されることになります。

もちろん、父もです。

特に薬も出ず、そのまま帰されたので、そんなに心配するものでもないのかな…と思いたかったのですが、やはり、そうは思えませんでしたねぇ。

そのくらい「ろれつ」が回っていなかったときのインパクトは、凄かったです。

実際に、 一過性脳虚血発作(TIA) は治療せずに放置すると、3か月以内に6人に1人が脳梗塞を発症(半数が48時間以内に発症)するというデータがあるそうです。

帰りの道中、さすがに父も、気落ちしているように見えました。

なんか、父の気持ちを想像すると…切なかったですね。

これは日曜日のことでしたが、翌日には脳神経外科のある大きな病院を訪れ、その日から、父はいわゆる「血液サラサラ薬」を飲むこととなります。

しかし先に言ってしまうと、父はその後、2年に1回くらいの頻度で脳梗塞を発症します。

血液サラサラ薬では、対応できないくらい血管が弱っていたのでしょう。

少し長くなりましたので、今日はこの辺で。

明日以降、その後の父との話を続けたいと思います。

タイトルとURLをコピーしました