結局、病院は大きいところのほうがよい?

身体・健康

どうもサマビーです。
今日も父の話を書きます。

初回の話はこちら、2回目の話はこちらです。

3度目の脳梗塞を発症した父は、退院後、3年近くのんびりと生活できました。

そして、2018年に4度目及び5度目の脳梗塞を発症し、息を引きとります。

その過程の経験談や感じたことなどを書きます。

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途方に暮れながら面会に向かう日々

父は私の家で一過性脳虚血発作いっかせいのうきょけつほっさ(TIA)を発症した後、10年にわたって何度も「脳梗塞→入院」を経ながら、これといった後遺症もなく、自律した生活ができていました。

それだけでも感謝すべきでしょう。

ただし、2018年に4度目の脳梗塞を発症した際、父は左半身不随となってしまいます。

おそらく、早朝にトイレに向かう途中、もしくは、トイレから出た後に発症して倒れたのでしょう。

朝になって、トイレの前で倒れている父を姉が発見します。

運ばれた病院で緊急手術を行い、一命はとりとめますが…父は左半身不随となってしまいました。

80歳の父が半身不随となり、この先、家族はどのように対応していけばよいのか、また、どう父を元気づけたらよいのかなど、考えると滅入りましたね。

ただしその時の父は、まだICU(集中治療室)にいる状態でしたし、まずは目先の「今」をどうするのかしか考えていませんでした。

ちょうどその時、母も生死の境をさまよっており、先のことを考えるパワーもなかったのでしょう。

目の前の問題を1つずつやっつけていく…ということしか考えられませんでしたし、できませんでした。

そして、父自身はどうだったかと言うと、弱音を吐くような人間ではありませんでしたが、さすがに左半身不随は堪えたのでしょう。

もしくは、脳の障害で混乱もあったのかもしれません、面会に行くと、私の前で涙することもありました。

能天気な私でも、さすがに面会に行くのが辛かったです。

ただただ「一緒に頑張ろう!」…としか言えませんでしたし、心と身体にムチを打つ感じで、父の面会に赴いていました。

気の弱い姉なんか、悲しむ父を見るのが辛すぎて、そのうちお見舞いに行かなくなりましたもん…苦笑。


ちなみに、父には、調子の良い日と悪い日がありました。

調子が良い日は、「自分が倒れて入院している」ということを理解していましたし、「ありがとう。気を付けて帰れよ。」などと、気遣ってもくれます。

ところが、調子の悪い日は、家にいると勘違いしていて、前の患者さん用の心電図等のモニターを指さして、「テレビのリモコンを取って」とか言っていました。

一度、「新聞を見たい」と言うので、売店へ買いに行って戻ると、今度は「トーストを焼いてくれ」と言い出すので、そこで「家にいると勘違いしていたんだ!」…と気づいたことも…苦笑。

なんか実際に接して話をしていると、父が状況をわかっていない可能性があることを、こっちが忘れちゃうんですよ。

良い状態であってほしい…という希望的観測があったのかもしれません。

例えば、話をしている途中に、「トイレに行きたいから手伝ってくれ」とか言われると、「手伝ってくれ」と言うことは、自分が入院していることは理解していると思うじゃないですか。

一瞬信じてしまい「(自力で行く)許可が出たの?」…とか聞いちゃうわけです。

でも冷静に考えれば、そもそも左半身不随ですし、自力でトイレに行ける状態ではありません。尿道にカテーテルも入っていますし、ありえないのです。

でも、一瞬信じてしまってから…「あぁ、わかっていないんだ…」と目が覚めるというか…。

そんなこんなで、色々とありつつもその後、父は3週間ほどでICU(集中治療室)を脱します。

しかし、一般病棟に移った後、別の問題が生じました。

中小規模の病院は、クセが強い!?

ICU(集中治療室)を脱した父は、一般病棟に移ります。

しかし、その頃から別の問題が生じました。

まず、左半身不随となったため、身体が動かせないだけではなく、食事をスムーズに”飲み込む”こともできなくなっていました。自由に水も飲めません。

しかも、飲める水は普通の水ではなく、誤嚥ごえんを防ぐために「とろみ」がついた水です。

父はずっと真面目に生きてきました。

なのに、なんでこんな目に遭うんだ…と神様を恨みたくもなりましたね。

私が10代ならば、グレてたと思います…笑。

だって、どんなに真っ当に生きてきたって、こんな目に遭うんじゃぁ…なんてね。

ともかく、見ていた私もツラかったですが、1番ツライのは父です。

そして、救急で担ぎ込まれた病院は、昔からある小~中規模の病院で、つくりも古くて狭い。

申し訳ないですが…見た目は汚いし、設備も充実していませんでした。

さらに、一般病棟には、患者に厳しく接する男性看護師がいたようで、父はその病院にいることが心底嫌になってしまったんです。

その男性看護師は、ポリシーなのか体育会系なのか…良く言えば接し方がフランク悪く言えば雑でした。

元気なときなら問題はなかったのかもしれません。

しかし、身体は動かないわ、状況がよくわからないわという状態で、食事のたびに「なんだ、もう食べらないのか? ダメだろ!」とか勢いよく怒られると、父は精神的にキツかったのでしょう。

1日中、寝返りも自由に打てずに寝ているのに、食欲などあるわけもなく。

ちなみに、当時は母も別の病院に入院しており、私は病院をはしごする日々でした。

母の入院していた病院は、東京の駒込病院という都立の大きい病院です。

比べてしまうと素人目にも、いたるところで違いは明らかでした。

たまたまだったのかもしれませんが…、中小規模の病院は、その病院のクセがあるな…とも思いましたね。

きっと一般の会社でも、そうですよね。小さい会社ほど、その会社独自の妙な風土(特定の人間の意向)が強いというか…笑。

一概には言えないでしょうが、こんな経験を経て、「病院」は、基本的に大きいところのほうがしっかりしている(良い)なぁ…と感じてしまいました。

良くも悪くもシステムが確立しているというか…。

まぁ、たいがい超混んでるんですけどね…苦笑。

また、大きい病院のほうが、さばく患者数が多い分、様々な症例に対する経験値も高い気もします。

あ、フォローするわけじゃないですけど、その父の運び込まれた病院。

ICUの方々には、本当によくしていただけました。感謝しています。

また、一般病棟の方々にも、もちろん感謝しています。

こっちはたまに顔を出して、話をして帰るだけですが、着替えとか排泄とか、そういった大変な作業もしなければならないじゃないですか。文句を言える立場ではない。

ただ、ちょっと変わった人がいたようですし、また後日に触れますが、色々と雑だった面があるかなと…苦笑。

ともかく、救急で入った病院であり、どのみち転院になると考えていたのですが…、ツラそうな父を見たとき、早く転院させようと考えはじめました。

しかし、それもスムーズに行きませんでした。

その辺の話は、次回にします。

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