病院の規則をやぶって、父と桜を見にいった話

身体・健康

どうもサマビーです。
今日も父の話を書きます。

なお、前回の話はこちらです。

前回の話は、父が私の自宅に遊びに来た際、 一過性脳虚血発作いっかせいのうきょけつほっさ(TIA) を発症してしまった…というものでした。

その後、父は10年間で4回の脳梗塞を発症し、2018年に息を引きとります。

今日からはその間の経験談などを書きますが、私が大変だったのは2018年ですね。今日はそこに至るまでの経過の話です。

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2度目の脳梗塞と1か月半の入院

父が私の家で一過性脳虚血発作いっかせいのうきょけつほっさ(TIA)を発症したのは、夏の終わりでした。

実家は自営業を営んでおり、当時の父は社長としてバリバリ働いておりました。

一過性脳虚血発作(TIA)を発症した後も、少し静養をしてから再び働きはじめます。

その後、特に変わりはなかったこと、また、薬を服用しはじめたこともあり、いつの間にか、元の生活に戻っていきました。

やんわり心配はしていたものの、その後、2年ほど変わらず過ごしていたので、少し安心し始めていた頃でした。

とある冬の朝、父は2度目(※)の脳梗塞を発症します。

※正確には、一度目は一過性脳虚血発作(TIA)です。

兄が朝起きると、トイレの前でトイレットペーパーを片手に、ぼ~っと立っている父を見つけたそうです。

話しかけると、ろれつが回ってなく、ぼ~っとしていたので、すぐに救急車を呼び、そのまま入院となりました。

経験のある方ほど、こんな話は怖いですよね…苦笑。

私は一度目に様子がおかしくなった父を見た後、しばらくトラウマになりましたもん。

例えば、誰かと会話をしていて、相手が言葉に詰まる瞬間ってあるじゃないですか。

その瞬間、相手に何か異変が生じたのではないかと「ドキっ」としてしまうという…笑。


ともかく、その際の父は1か月半ほど入院し、幸いにも後遺症がなく退院できました。

はじめにお見舞いに行った時は、まだ「ろれつ」が回復してなく、何とか会話ができるかなぁ…というレベルでした。

しかし、1週間、2週間…と経過するにつれて戻っていき、ホッとした記憶があります。

ただし、父にしてみれば、1か月半の入院はとにかく退屈だったようで、もうこんな思いをしたくない…と感じたようです。

その後、仕事量をかなり減らし、兄に会社を継ぐ準備を始めました。

3度目の脳梗塞で、ICU(集中治療室)入り

2度目の脳梗塞後、父は仕事量をぐっと減らしましたが、完全にやめてはいなかったようです。

家でずっといるのも退屈でしょうし、気になることもあるでしょうからね。

とはいえ、基本は家でのんびり、午後に少し会社に顔を出す…という感じだったようです。

そこから2年ほど、穏やかな日々が続きました。

余り先のことは考えず、こんな日々が続くと良いなぁ…と思いましたが、そうはいかないですね。

食事中に咳込んだことをきっかけに、3度目の脳梗塞を発症してしまいます。

その際は、動ける程度の状態だったので、母がタクシーでかかりつけの病院へ連れて行き、そのまま入院となりました。

しかし、その際は危険な状態だったようで、ICU(集中治療室)に入ります。

私が面会に行ったのは、発症の翌日でした。

ちなみに、病院にもよるでしょうが、ICU(集中治療室) は広い部屋にベッドがいくつも置いてあり、患者が並んでいて、近くに医者と看護師が待機している部屋がある…という感じです。

明々と電気がついていて、いつ何時も対応するぞ!…という雰囲気でした。

母や兄から「かなり、ろれつが回っていない」とは聞いていましたが、父の状態に衝撃を受けましたね。

もう何を言っているのか、ほとんどわからない状態で、勘で受け答えをしていましたね。

慣れてくると、ある程度わかるようになりましたが…笑。

顔面の麻痺もあって、ぶっちゃけ、そばで見ているのもツラかったです。

しかし、良くも悪くもICU(集中治療室)では、面会の時間制限(30分)がありましたので、30分で解放はされます。

なので、せめて30分はそばにいて、時間が来ると「また来るね。頑張ろう。」と声をかけて帰っていました。

ちなみに、ちょっと怖い話ですが…その脳梗塞発症後2日間くらい、父はかなり幻を見たそうです。

幻というか、悪夢に近いのでしょう。内容は自粛しますが…脳の病気は怖い…。

で、今回はさすがに後遺症が出るかも…との話はありましたが、その際も後遺症なく回復し、父は退院できます。運が良かったと思います。

贅沢もせずに、まっとうに生きてきたせいか、父は強運を持っている…と家族で話をしていましたね。

ただし、ICU(集中治療室)を出た後も、一般病棟で2か月ほど入院することとなり、長かったですし、とにかく退屈だったそうです。

始めの頃は大人しく入院していましたが、1か月を過ぎた頃からは、退屈だということ、退院はまだかということを常に話していましたね。

「きっともう少しだよ…」と元気づけるほうも疲れてくるくらい…苦笑。

ちなみに、病院からは頭のトレーニング用に、クロスワードパズルや計算ドリルも日課として出されていたようで、お見舞いの際には、わからないクロスワードパズルの紙を出されて、代わりに「やってくれ」とか言われました。

それで、私がやっちゃったりして…笑。

ICU(集中治療室) に入っていた当初、この先どうなるのか…と不安にもなりましたが、一般病棟に移って1か月ほど経つと、ほぼ入院前の状態に戻っていました。

その頃には、車いすを借りて、病院内の移動は許されていてお見舞いのたびに、車いすで父を連れて、病院内を歩き回っていました。

そして、春が終わる頃だったこともあり、何度か病院の外にも出て、一緒に桜を見たりして…。

まぁ、よい思い出とは言えませんが…

父と規則違反をして、外へ桜を見に行ったことは、ちょっとした思い出です。

少し長くなったので、その後の話はまた続けさせてください。

次は、運命の2018年の話に入ります。

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