大雪の日の転院 2度だけ見た母の涙(その6)

身体・健康

どうもサマビーです。
今日も2018年に母と私に起こった話の続きです。

年内にこの話を書ききりまして、また気持ちを1つ切り替えて2020年に向かいたいと思います。

前回の話はこちらからお願いします。

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一瞬だけ心変わりした母

毎回のことで恐れ入りますが、前回までの話を簡単にまとめます。

母は2015年に悪性リンパ腫を発症、抗がん剤治療に入るも断念します。

その後、2年ほど日常生活に戻れたものの、2017年の年末に腫瘍随伴性天疱瘡しゅようずいはんせいてんぽうそうという難病を発症します。

私は入院していた病院から「退院してほしい」と言われるなか、母に病気の告知をした…というのが前回までの話です。


さて、母に病気の告知をした後、取り急ぎ、1つ課題が残っていました。

病院から出なければならない、というものです。

このような場合、「それでも病院か!」と難癖をつけて、居座る人もいるのかもしれません。

さすがに、それはできなかったですね…苦笑。

というか、色々と説明がなかったので、すべて憶測ですが…

要するに病院としては、対応できる病気ではないこと、そして、母は抗がん剤治療を拒否しており、治療をしない以上、置いておけない…ということだったのでしょう。

しかし、私が母に告知をした翌日、病室に医療部長さんがやってきます。

その病院では、抗がん剤治療を行っていませんでした。詳しいことはわかりませんが、血液内科の医師がいなかったようです。

しかし、元血液内科の先生はいて、その先生に話をつけるので、うちで抗がん剤治療を行ってみないか?…という持ちかけでした。

これが転院させる作戦だったのか、本気だったのかは…わかりません。作戦だったのならば、すごいな…と思います。

また、まだ生きられるから頑張りましょうよ!…という強い励ましをいただきました。

熱心な説得と、本来は行っていない治療を行うという意思表示に、母の気持ちは揺れます。そして、目が見えなくなったことも、相当不便だったのでしょう。

せめて目が見るようになれば…みたいな感じで、やってみようか…と心変わりしたんです。

ただし、ほんの1日でしたが…。

その翌日には気持ちは戻り、やはりやりたくない…と言い始めます。相当なトラウマがあったのでしょう。

その点について、母を責める気はありません。抗がん剤治療を行った2年前よりも、明らかに状態が悪かったので、私から見ても無理がある気がしました。

緩和ケアへの連絡から思わぬ展開が…

その後どうなったのか?

母に本当のことを告知しましたし、もう治療は行わないと言っている。

そして、退院を宣告されているとなると、残る手段は「緩和ケア」への転院です。

緩和ケアとは、苦痛をやわらげることを目的とした医療的ケアです。

「治療」(治すこと)を目的とした医療行為ではなく、痛みや不快に感じることをできるだけ取り除くための医療行為を行ってくれるところ…という感じでしょう。

「ホスピス」と言えば、わかる方も多いかもしれません。

もともと母は東京都内の駒込病院という病院で抗がん剤治療を始めましたが、治療をやめた後、その「緩和ケア科」への入院手続を行っておりました。

本当にこの手続は、行っておいてよかった…。

ただし、入院の希望をしたとしても、空きがあるとは限りませんし、そもそも死が差し迫っている状況でないと入院できない条件となっていました。

ただし、その時の母は、死が差し迫っていると判断される可能性がありましたし、私は緩和ケアへ連絡を取ります。

緩和ケアに入院できるのならば、苦痛はできるだけ緩和してくれますし、各種ケアを行ってもらえます。

そして、緩和ケアに連絡を取ったことは、入院をしていた病院の先生方にも伝えました。

するとその後、入院していた病院より妙な連絡が来ます。

「駒込病院には連絡をして話をしておいたので、転院してください」

…という内容でした。

連絡を取ってくれたんだ…という思いと、「?」という思いがありました。

「緩和ケアに入れるんですか?」と尋ねると、「よくしてくれると思います」といったような、なんか歯切れの悪い回答でした。

大丈夫なのかな?…という不安はありましたが、退院を宣告されていましたし、どの道、駒込病院に転院させていただくつもりでしたし、了解します。

そして転院日は、確か連絡のあった日から3~4日後に設定されていました。

悪く受け取りすぎかもしれませんが…そんなに早く出てほしかったのかな…苦笑

私は緩和ケアに移ると思っていたので、母にもその旨を告げ、週明けに転院しよう…という話をします。

稀に見る大雪の日に、転院しました

ここからは転院した日の話です。この日のことも忘れることはないでしょう。

私にとっては長い1日でした。

そもそも転院日の前日、関東地方には大雪が降ります。

それは2018年1月22日のことで、夕方から夜半にかけて大雪が降り、東京でも20cmという積雪を記録します。

翌23日の早朝に私は家を出て、都内の病院へ向かいました。まぁ交通機関が乱れていて、大変でしたね。

病院に着き、母の着替え等を済ませて、病院を出る際には、多くの看護師さんが見送ってくれました。

本当に看護師の皆さんには、お世話になりました…。

そして、嫌な思いをしたこともありましたが…医師の皆様にもお世話になりました。

ま、もう私は行くことはないでしょうが…苦笑

病院の出口でタクシーを拾い、転院先の病院へ向かいます。

母はわずか2週間ほどの間に失明状態となったため、入院する際に見えていた見慣れた景色が、もう母には見えません。

大雪の影響でゆっくり進むタクシーの中、「今は〇〇の横を通っているよ…」「今は〇〇の前だよ。よく行ったよね…」などと解説をしていました。

そして、無事に駒込病院に着き、受付を済ませて、ごった返しているロビーの隅っこで、車いすに乗った母と私はポツンと呼ばれるのを待ちました。

邪魔になるため、廊下の壁にくっつくように車いすを付けて、背中を丸めてポツンと座っている母が、本当に小さく見えました。

もうね…本当に母はボロボロだったんですよ。30~40分ほどだったと思いますが、ごった返している大病院のロビーで待たせている時間が長く感じました…。

そしてようやく病室に向かうと…予期せぬ展開が待っています。

長くなりましたので、今日はここまにしますね。

続きはこちらからお願いします。

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