父を看取ってからの流れを書きます(父の葬儀の経験談その1)

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どうもサマビーです。

重たい話が続くのも何なんで、少し雑談を挟みましたが…笑

今日は「葬儀」での経験談を書きます。

2018年に父を看取ってから、葬儀が終わるまでの経験談ですね。

葬儀を「行う」のは初体験でしたし、葬儀に関する知識もほぼゼロでした。

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「これからどうされます?」と言われても…

私の父は2018年に病院で亡くなりました。

目の前で看取ることができた…という話が、少し前までお話しした、父に関する一連のくだりのラストですね。

なお、「このくだり」をはじめから読んでいただける場合は、こちらからお願いします。


で、その後どうなったのか…ということですが、

父が息を引き取った直後にかけつけた兄と、しばし父の元にいました。

しばらく父のそばにいると、看護師さんがやってきて「身体を綺麗にしてから、霊安室に運びますので、そちらでお待ちください。」と言われます。

ですので、私たちは霊安室に移動しました。ちなみに、その病院の霊安室は、3畳くらいの小さなスペースでしたね。

そして、霊安室で待っていると、父が運び込まれてきて、看護師さんに「これからどうされます?」と言われました。

いや…どうするも何も…どうしたらいいんでしょうか?

…と尋ねましたね…笑

すると、看護師さんが、病院と提携している葬儀会社に連絡を取ってくれることになり、数十分ほどで、葬儀会社の方が来ることに。

そうそう、そういうイメージは持っていました…。


葬儀会社の人が来るまで、近しい人に連絡を取るなどしつつ、その間に姉も駆けつけます。

そして、葬儀会社の人がくると、まずは「ご遺体はどうします?(ご自宅に運びます?)」ということを尋ねられ、葬儀会社で保管していただくことにしました。

不謹慎な話となり恐縮ですが…実家にはやんちゃな犬がおりまして…

ぶっちゃけ、父の遺体を置いておくと、何をするかわからない…苦笑。

きっと父にくっついて、離れないでしょう。それも間違いない。

ただ、きっとその辺でオシッコとかしちゃうような…。

ということで、私たちは父の遺体と一緒にそのまま葬儀会社に向かい、その流れで葬儀の打ち合わせを行うこととなりました。

決めることは盛りだくさん…でした

父を看取った後、そのままの流れで葬儀会社へ移動して、葬儀の打ち合わせが始まります。

ちなみに私の場合、父が死んだことに対する精神的なダメージはありませんでした。

きっと父も楽になったと感じたことで、むしろ、ホッとしたくらいです。

ですので、疲れてはいましたが、そのまま打ち合わせを行うことに苦痛は感じませんでした。

ただ…場合によってはシンドいですよね…。でも、遺体はそんなに長く保管できないですし…。


ともかく、葬儀の打ち合わせと言っても、何もわかりませんでしたので、葬儀会社の説明と提案に従って進みます。

それでも2時間くらいはかかりましたかね。決めることはたくさんありました。


打ち合わせた内容ですが、まずは葬儀の形式の確認だったと思います。

身内でだけで家族葬を行うのか…とか、仏教式なのか…といったことですね。

結論としては、ごくごく一般的な形です。

父は小さいながらも会社を経営していたので、関係者に参列していただけるようオープンな形に。

そして、父はお墓を持っていたので、そこのお寺に連絡を取り、そちらの住職さんにお経を読んでいただくこととなります。

結果、真言宗の形式にのっとった葬儀となりましたが、まぁ、一般的な形だと思います。

すみません。宗教的な話は詳しくありませんので、このくらいのラフな説明しかできません…汗。


で、次に誰が喪主となるかの確認をしたと思います。

本来は、父の妻である母が喪主となるようですが、母も大病を抱えて入院中でしたので、長男である兄が喪主(代理)となりました。


そして、次に「いつ」「どこで」行うのかでしたね。

「いつ」について、父は火曜日に亡くなりましたが、その週末に行うことにしました。

「どこで」については、その週末にお寺さんの予約が埋まっていたため、葬儀会社の葬儀場で行うことになりました。

この時に、予想される参列者数の確認も行います。キャパが足りるか…などですね。

正直、アクセス面でその葬儀場の「場所」は微妙でしたが、時間に制約もありますし、他にアイデアというか、希望の場所を調べて押さえて…という余裕もありませんでした。

そんなこんなで、葬儀会社の葬儀場で行うこととして、そこに、父のお墓があるお寺のご住職にきていただき、お経を読んでいただく形になりました。

ちなみに、母は父の葬儀に出れませんでしたが、その後偶然、母は父のお経を読んだ住職と出会う…という話は、こちらです。

で、その他、打ち合わで決めた主な内容は…

・「祭壇のタイプや内容定」
・「飾る花や量」
・「お通夜振舞いで出す食事の内容と量」
・「受付を行う人の選定と連絡」
・「ひつぎ」の種類
・「場内にかける音楽」
・「通知等」の準備・内容等
・「香典返しの内容」…etc

…といったところです。葬儀会社の指示に従って、次々に決めていきました。

また、火葬場も混み合っているようで、葬儀会社の方に、その日に予約していただきました。

ちなみに、「ひつぎ」の種類は多数あり、材質や飾りなどで本当にピンキリでしたね。

すぐに燃やしてしまうものですが、100万円単位のものなども…。

ちなみに、参列していただいた方には「ちょっとしたお手紙」を添えました。これも葬儀会社の提案というか、サービスに入っていましたが、その作成にはライターさんを準備してもらいました。

父の性格や、生前の思い出などを伝えて、文章を見繕っていただくという。

さすがプロのライターさんで、とても良い仕上がりでしたね。

私の妻は、その文章を読んで「お義兄さんは、凄いわね…」と言っていましたが、「良い勘違い」なので、黙っていました…笑。

なお、役所に出す死亡届などの書類については、期限や種類などが記載された一覧表を葬儀会社からいただきましたね。

その他、葬儀会社ではなく、「お寺」への連絡調整は私が請け負いました。

お布施はいくら包めばよいのか…といったことも含め、準備しておくものの確認をしたり、住職と電話でやり取りをして、父の「戒名かいみょう」の決定も行いましたね。

ちなみに、戒名とは、ざっくりと言うと亡くなった人につける名前です。


しかし、「父が体調を崩す→色々とある→看取る」という過程で、かなりのパワーを使っていたと思いますが、 葬儀に関しては、さほど大変だった記憶がありません。

父が息を引きとったことで、肩の荷が1つおりたんだと思います。

また、私は父に対して「嘘」をついておりまして…。

改めて「母」の話はまとめますが、父が亡くなった頃、母は別の病院で生死をさまよっていました。

当時の医者の見立てでは、父が亡くなる頃に、母が亡くなる予定だったんです。

しかし、母の病状等は、父に黙っていたんです

母の状況について「最も伝えねばならない人」…だとは思いますが、伝えられませんでした。

むしろ、父が倒れてからは「元気だよ。そのうち退院するよ。」大嘘をついていたんです。

なので、最期まで嘘を突き通して終われた…という安堵もありましたね。

まぁ、もし”あの世”というものがあるのならば、とっくにバレてるでしょうが…笑。

でもその後、母は退院しましたから…半分、嘘にはなってないでしょ。


ともかく、葬儀会社との打ち合わせは、その日の一度きりで済みまして、後の細かい調整は、兄が電話でやり取りをして決めました。

そして、週末の葬儀へと話は進みます。

ということで、葬儀当日の話は、また続けさせてください。

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