母と私の密談!? 2度だけ見た母の涙(その8)

身体・健康

どうもサマビーです。
今日も2018年に母と私に起こった話の続きです。

前回の話はこちらからお願いします。

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尊厳死の是非は別として…

毎回のことで恐れ入りますが、前回までの話をまとめます。

母が2015年に悪性リンパ腫を発症、抗がん剤治療に入るも断念。その後、2年ほど日常生活に戻れたものの、2017年の年末に難病を発症してしまい、わずかな期間でボロボロになります。

入院した病院から退院宣告されるなどを経て、緩和ケアへ転院することができた…というのが前回までの話です。


緩和ケアに移った母は、水分と点滴のみで過ごしていました。食事ができないのは、口腔内がただれていたためです。

さらに目が見えない状態となっていたこともあり、母にしてみれば、後は静かに死んでいくだけ…という心境だったと思います。

実際に母は「眠りに入るとき、このまま目が覚めないといいなって思う」と話をしていました。

そんな話をされて、私は悲しかったのかというと、そうでもありません。

私としても万策尽きた感はありましたし、そこまでの2か月ほど、母の厳しい病状を見てきたので、むしろ早く楽にさせてあげたい…という気持ちのほうが強かったです。

賛否両論があるでしょう。

なお、母が緩和ケアに移って1週間が経った頃、父が実家で倒れて半身不随になります。その一連の話のはじまりは、こちらからお願いします。

それはそれは、もう無茶苦茶な状態でした。

私としては、洗濯機に放り込まれたかのような気分でしたね、もみくちゃにされて、全く抗えない感じ。

しかもその後、仕事でもトラブルに巻き込まれていき、もう何が何だか…苦笑

ただ、私も母もどこか達観した感じがありましたね。母は別として、ラフな親子なのかな。

母に父が倒れた報告をした際など、母は吹き出したくらいです。「もうしゃ~ないね~」みたいな感じだったのでしょう。

ま、良くも悪くも、明るい家族ではあります…笑

その後、父が息を引き取るまでの1か月半、私は週末になると「父の病院➝母の病院」とお見舞いのはしごをしていました。

そういえば、お見舞いに行く途中、車が故障して動かなくなったりもあったね…笑

なんだっちゅ~ねん…苦笑


それはともかく、緩和ケアに移って3週間が過ぎた頃、母は点滴を止めたいな…と言い始めたんです。強く希望していたわけでは、ありませんが。

食事もできない、目も見えない、ただただベッドで寝ているだけ。

点滴で栄養を入れれば、それだけ死が先延ばしになる…という気持ちがあったのでしょう。

それについては、後押しも、止めもしませんでした。

ただ、もう散々頑張ってきたんだから、母の好きなようにさせてあげたい…という気持ちだったと思います。

そんな折、主治医から今後の打ち合わせを…という連絡がきます。テーマは点滴について…ということでした。

私や兄弟は、てっきり点滴を続けるか否かの話かと思いました。そして、母の気持ち尊重派の私と、それは良くないと考える兄・姉の間で意見がぶつかります。

姉や兄からは「自ら点滴を止めるなんて、そういうのは良くない」私に何度も連絡が来ました。

だから…母に直接言えよ(私に言ってもたいした意味はないよ)…というのが本音でしたね…。

別に私は点滴を止める推進派だったわけではありませんし、私に決定権があるわけでもなし。病院との打ち合わせだって、参加すればいいんだから。

最初に母の病院に付き添った流れで、その後も母のそばにいて、ずっと母を励ましてきたつもりですし、散々話もしてきました。

その結果、母の意思を尊重したいという気持ちになっていただけです。

ただ、兄弟間で揉めたくはないですし、母は点滴を止めたいと言っているし、どうしたもんかなぁ…と思っていました。

どの道、できなくなった点滴

その後どうなったのか?

指定された日に病院に出向いて、先生と私と母の3人で話し合いをすることになります。

そして、どのような話し合いがされたのかと言うと、このまま点滴を続けるか否かの確認ではなく、どの道、あと1週間ほどで点滴が打てなくなる…ということが1つでした。

詳しいことはわかりませんが、もう腕に打てる場所がなくなった…という感じです。

そして、それでも点滴を続けたい場合、点滴を入れる管を埋め込む手術をしなければならない…という話でした。

そこまではしなくて良いよね…となり、あっさりと今の点滴が自然に抜けたら、それでフィニッシュという流れになります。

さすがに兄も姉も、今から手術をして…ということまでは望まないでしょう。

実はその手術。手術とは言っても大それたものではなく、病室で簡単にできるもののようでした。ただし麻酔等は使います。

しかし、私と母はもう良いよね…と口裏を合わせて、「手術しなければならない」ということだけを伝えて、兄と姉を説得します。

なお、点滴が取れると母は栄養が取れません。後は衰弱していくわけで、その過程は苦しいのか?…ということは確認しました。

先生によれば「そうでもない」という回答でした。不安にさせないための言葉なのかもしれませんが。

そして、この打ち合わせは3月頭に行われましたが、先生の見立てでは、桜の咲くころには…という話でした。

もう母と一緒に、桜を見ることはないのかなぁ…と思いましたね。


この選択が正しいのか否か…皆さんは、どう思われるのでしょうか。

しかし、予期しないことが起こるものです。

結論から言えば、母はまだ生きていますしかも、退院して自宅にいます。

今でも週末は母の下に出向いており、普通に話をしています。退院後の1年半ほどでたくさんの話をしました。

母と桜も見ました。しかも、私の息子が車いすを押して。

点滴を止めた母に何が起こったのか、その話はまた続けますね。続きはこちらからお願いします。

なかなか重たい話ですが、読んでいただき、ありがとうございました。



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