こんにちは、こんばんは。
サマビーです。
今日も最近書いている一般知識としての「日本国憲法」の解説シリーズです。
憲法記念日をきっかけに書き始めましたが、今回で第4回ですね。
今回は憲法の「前文」について書きます。
なお、法律を知らない人でもわかるように、できるだけ内容は嚙み砕きます。
よって、詳しい方からすれば「ん?」と思う部分がある“かも”しれませんが、その辺はご容赦ください。
由来や目的、理想が掲げられています
日本国憲法では、第1条、第2条…と始まる前の冒頭で「前文」というものが置かれています。
ちなみに、一般的には「ぜんぶん」と音読されています。
また、日本以外の国の憲法の冒頭にも「前文」が置かれているものが多いですし、憲法ではない「法律」でも前文が置かれているものもあります。
で、この「前文」には、憲法をつくった由来や目的、憲法の根本原理等が示されているんです。
まずは憲法の「前文」を掲載しておきましょう。
日本国憲法 前文
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
難しい言葉がいっぱい出てきますよね…笑
ざっと各段落を見ていきましょう。
まず第1段落では「自由のもたらす恵沢を確保」という部分で基本的人権の尊重、
再び「戦争の惨禍 が起こることのない」ようにという部分で平和主義、
「主権が国民に存すること」という部分で国民主権を宣言しています。
ちなみに、「恵沢」とは「めぐみ」のことですね。自由がもたらしてくれる”恵み”を確保します!…と宣言しているんです。
また、最後に出てくる「詔勅」ですが、天皇が発する公的文書…と考えればよいでしょう。
ともかく、ここで一般的には、基本的人権の尊重、平和主義、国民主権が憲法の三大原理であることが書かれている…と考えられています。
平和主義と国民主権については、以前に書きましたのでご参照ください。
で、第2段落では、日本の安全と平和を保持しよう!…との決意を述べるとともに、全世界の国民が平和のうちに生存する権利を有することを確認しています。
この「平和のうちに生存する権利」は、平和的生存権と呼ばれています。
過去には、私たちには平和的生存権がある!…ということを根拠に、訴えが提起されたことがありました。この辺は下で触れます。
ちなみに、途中で出てくる「隷従」とは、従って言いなりになること、「偏狭」とは、狭くかたよった考え方という意味です。
そして第3段落では、自国中心的な考え方を否定しています。
自分たちだけのことを考えちゃダメよ!…ということです。
近年では「自国ファースト」の方向性が強まっていますけれども、日本の憲法ではそれはダ~メよと言っているのです。
この第1~3段落まで見ると、かなり高い理想を宣言していますよね。
そして、最後の第4段落において、日本国民は、この崇高な理想と目的を達成しようぜ!…と誓っているのです。
かなりざっくりコメントしていますが、日本国憲法の前文では、こんなことが書かれています。
前文を裁判で使うことは難しい!?
さて、この「前文」も憲法の一部であることに違いはありません。
そこで、例えば国民が「〇〇法は憲法の前文に違反しているので、無効だ!」などと、裁判所に訴えることができるのでしょうか。
そもそも裁判所に訴えを起こすときには、根拠が必要です。
とにかく訴えたい!…では、裁判は認められません。裁判所も訴えられた相手方も付きあっていられない。
で、特定のルールについて、それが裁判の根拠となるくらいのルールであるか否かという性質は「裁判規範性」があるかという言われ方もします。
少し難しい言い回しですが「規範」とはルールのことを意味するので、「裁判」に使用できる程度の「規範(ルール)」であるか?…というイメージでよいでしょう。
で、憲法の「前文」がどうかと言いますと…結論は難しいかな…という感じです。
上で掲載したように、前文は抽象的な原理を宣言しているもので、ここから「こういう場合には〇〇だ!」などという判決を引き出すことは困難と考えられているんです。
もう少しかみ砕きますと…
憲法の一部ですし、法律(法規範)としての効力はあるけれども…
“ぼんやり”している部分ではあるので、これを根拠に「裁判まで」はできないよね…という感じです。
過去には「平和的生存権」という部分を根拠にして、訴えが起こされた(提起された)ことがあったんですね。
しかしその際、裁判所はこのような判断を示しました。
ということで、憲法の「前文」について、一般知識としてはここまで理解しておけば十分ではないでしょうか。
簡単ではありますが、今回はこの辺で失礼いたします。