どうもサマビーです。
今回は母の話の続きです。
なお、前回の話はこちらです。
前回は、悪性リンパ腫を発病した母が、抗がん剤治療を始めた初日までの話でした。
たった2日間で別人のように…
抗がん剤治療を始めた母の下へ、様子を見に行ったのは治療初日でした。
若干うろ覚えですが、月曜日に入院し、火曜日から治療を開始したと思います。
初日の夜には「これなら行けそう」と笑顔で語っていた母を見て、私もきっと大丈夫だ…と思った部分はありました。
その様子から、仕事もありましたので、1クール目の最終日に顔を出そうと思っていましたが…
その2日後、木曜日の夕方くらいに見舞いにいった姉から、「母が抗がん剤をやめたいと言っている。説得してほしい。」というメールが届きます。
きっと、がっくりしたと思います。
ただ、その後に色々とあり過ぎて、その時の記憶はもうあまりありません。
しかし、率直な印象としては、「あの母」がそう言っている以上、説得は無理だろうな…と思った記憶があります。
また、「あの母」がやめたいと言う以上、それほどツライのだろうと。
だから、母の希望どおりにしてあげたい…と考えた気がします。
というのも、私の知っている母は、一切泣き言を言わない人でした。
とにかく我慢強く、明るく強い人でしたので、よほどのことでは…と思ったのです。
しかし、治療をやめるということは、そのまま病気が進行し、死に向かうになります。ですので、まずは母の下へ行き、話を聞いてみようと思いました。
姉から連絡のあった翌日、やはり仕事を早めに切り上げて、病院へ向かいます。
母がどんな状況なのか、また、なんて声をかけようか…病院へ向かう車の中で、気持ちは重かったです。
そして、病院に着いて母に会うと、初日に笑顔で話をしていた姿が嘘のように、たった2日ほどの間で、母から生気が消えていました。
まずは、そのことに軽くショックを受けます。
何を話したのかは、よく覚えていません。
ただ、涙ながらに「もうやめたい」と訴える母を見て、もう無理だ…と思いました。
歳のせいもあると思います。抗がん剤が合わないタイプでもあったのでしょう。
ただ、「あの強い母」が、たった2日間で別人のようになっていた姿に、かなりショックを受けた記憶があります…。
たった2日間で、こんなに人は壊れてしまうのか…と。
そして、涙する母を見たのも、この時が初めてでした。
確かに私は、自分にも、他人にも甘い人間です。
しかし、そんな母の姿を見て「そうだね…俺から先生に話してみるよ」としか言えませんでした。
ただし、可能性を少しでも残すべく、まずは一度抗がん剤を止めること、その後のことは、少し休んでからまた考えよう…という結論にしたと思います。
また、1クール目の残りがあと1日あったことで、最後は強い薬じゃないと説得して、ひとまず1クールまでは終えよう…との説得もしました。
そして、抗がん剤治療の1クール目が終わり、フラフラになった母は自宅に戻ります。
医者も少し驚きつつ…
1クール目の治療が終わり、2週間ほどの休薬期間に入ります。
その間に、私は医者に抗がん剤を止めることを伝えにいくことにしました。
しかし、姉と兄は反対します。そりゃ、そうでしょう。
はぁ…何言ってんの?…という感じでした。
そんな姉と兄に対して、説得はしてみたこと、母の意思は固いこと、あの母が止めたいというくらいだから、それほどツライのだろうということ…そして、そんなに継続させたければ「私に任せず、自分で説得しろ」と言いました。
姉には期待していませんでしたが、ほ~~んの少しだけ、兄に期待していた部分はありましたね。
ひょっとしたら休薬期間中に、説得してくれるかも…という。
しかし案の定、無理でした。
兄や姉と母との間で、どんなやり取りがあったのかはわかりません。
しかし、病院へ治療中止の申出にいくときまで、2人からは何も言われませんでしたので、直接、母と話をして、説得は無理だと身に染みたのでしょう…。
病院へ行き、主治医の先生に話を切り出すと、少し驚いた顔をしていましたね。ひょっとすると、1クール目で辞めると言い出す人は、少ないのかもしれません。
薬の量を「少し」減らす提案などもしてくれましたが、もう母の意思は完全に固まっていました。
ですので、治療は中止することとしつつ、再開する気力が出たら…という結論になりました。
未だにどっちが良かったのかは…本当にわかりません。
ひょっとすると、ムチを打ってでも治療を続けさせれば、今はハッピーな生活をしていたのかもしれない。
ただ、その後の2~3年を見ると「この選択」は間違っていなかったのかな…と思います。
たった1クールの抗がん剤治療で、母は10kgも体重が落ちましたし、8月の終わりに抗がん剤治療を行い、9月頭に自宅に戻ったものの、薬が抜けるまでの1~2か月ほどは、ずっとぐったりしている感じでした。
もしあのまま治療を続けていたら、どんな状態になっていたのかは…少し怖いです。
ただ、どちらが良かったのかは…わかりません。
とはいえ、その年の年末が来る頃には、だいぶ薬が抜けて、母も普通の生活に戻っていきます。
そこからの2年間は、母は重い病気を持っていることを忘れるくらいの日々でした。
2017年の年末が来るまでは。
少し長くなったので、
また続けさせてください。
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